昨年九月、作家の五木寛之氏が『私訳 歎異抄』(東京書籍)を著されました。同月22日の朝日新聞には「12万部突破の勢い」と評しています。発行日を同じくして、明治大学教授の齋藤孝氏は『声に出して読みたい日本語 音読テキスト? 歎異抄』(草思社)を著しています。親鸞聖人の教えを伝える『歎異抄』は、ますます多くの人に親しまれる仏教書となることでしょう。
二年前になりますが、東野圭吾氏の小説『白夜行』が、同名でテレビドラマ化(TBS系)されました。武田鉄矢氏演じる刑事の笹垣潤三(後に探偵になる)が毎回のように『歎異抄』の一節をつぶやいていました。とても印象的でした。
このドラマの初回は、少年・桐原亮司が父親を刺殺し、少女・西本雪穂がガス心中をはかり母親を殺す事件でした。それには深い理由がありました。
亮司の家は、父と母の三人暮らしで質屋を営んでいます。母は店員の松浦勇と愛人関係にあり、家庭はギクシャクしていました。亮司は、寂しい毎日を過ごしていました。
雪穂の父はすでに亡くなっています。母は、借金にまみれ、酒におぼれ、雪穂を借金の肩代わりに利用していました。雪穂は、暗く笑顔のない少女になっていました。
亮司と雪穂は、図書館で出会い、お互いに心引かれていきます。淡い恋心も生まれていました。手をつないで歩くふたりの前に、ひとりの男が現れます。その男が亮司の父と知った雪穂は、亮司を遠ざけます。亮司の父が雪穂と関係があったからです。
建設途中の誰もいないビルで、亮司は雪穂の裸の写真を撮る父を見てしまいます。亮司はとっさに持っていたはさみで父を刺し殺します。二人は会わないよう約束します。
警察の手が伸びた亮司は、とてもつらい日々を送っていました。雪穂は、亮司のつらい気持ちを察し、自分を利用した母親に殺人の罪をかぶせ、ガス心中をはかります。母は亡くなり、雪穂は助かります。
刑事の笹垣は、事件の犯人を亮司と雪穂のどちらかに絞っていました。しかし証拠がありません。笹垣は立ち去る雪穂の背中に向かってつぶやきます。それが『歎異抄』13章の「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」でした。
この言葉は、「自分の心が善いから殺さないのではありません。殺そうと思わなくても、百人、千人を殺すこともあるのです。殺すべき縁がなければ殺害することはありません」という意味になります。
笹垣は、子どもたちがなぜ親を殺害しなければならなかったのか、その因縁(背景)を知りたかったのかもしれません。あるいはまた、目に見えない因縁の深さを感じ取っていたのかもしれません。
私たちは悲しくて泣きます。楽しくて笑います。妬みもあり腹もたちます。お金や名誉もほしがります。嘘もつきます。人を傷つけることも、自らの人生を恨むこともあります。このような私に『歎異抄』は一つの光を当てているのです。