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お茶の間仏法味

 双方向・三方向
井上 円(新潟県・淨泉寺住職) サンガ第88号 <2007年7月>
 

イメージ 倒れて12年、寝たきりになって9年というおじいさんが亡くなりました。その世話をし続けてきたつれあいのおばあさんが、葬式中、下を向いたまま何とも寂しいようすでいました。その気持ちを寺に来て、私の母にこんなふうに語っていったのです。

 「こんな日がいつ来るか、いつ来るかと思って世話をしてきた。覚悟をしてはいたが、実際に亡くなってみると正直悲しい。ところが、弔問に来た人がそろったように『これで楽になりますね』と励ますつもりで言っていく。みんなにそう言われると、泣きたくても泣けなくなってしまった」
と言って、母の前で泣いて帰っていきました。

 それからしばらくして、同じように寝たきりになって6年というおばあさんのお通夜で、私はこの話をこのように話してみました。

 「寝たきりのおじいさんは世話される人、そのつれあいは世話する人、このように私たちは一方通行で考えているのではないでしょうか。しかし、この人の世話は最後まで私がやりたい。この思いが、そのつれあいのおばあさんを支えていたのではないでしょうか。その支えがなくなってしまったのですから、楽になるどころではなかったのです。楽になれなくなっている人に向かって、『楽になれますね』は励ましの言葉にはならない。かえって泣くに泣けない状況を作ってしまったのです。私たちは看病する人は支え役、病人は支えられ役といつも単純に考えてしまいます。でも、支えつつ支えられているということが人間にはあるのではないでしょうか。確かに家に寝たきりの人がいるということはシンドイことです。しかし、それがすべてマイナスということではないように思うのです」

 こんな話をした翌日の葬儀の後で、喪主(その長男)がこう挨拶してくれました。

 「私が仕事に出て行きますから、寝たきりの母と、酸素をつけていなければならない父の世話は、全部私の妻が看てきてくれました。その二人の世話をしている妻の姿を見ていたのか、最近中学の長女が、将来介護の仕事をしてみたいと言い出したのです。『おばあちゃんのことがあるから、そんなことを言うんだろう。でも、自分の好きなことを選んでいいんだよ』といくら言っても聞かないのです。介護の大変さや、愚痴までみんな知っているはずなのに、こんなふうに言ってくれるようになったのです。私の母の寝たきりの6年間は無駄ではなかったと、娘から教えてもらいました。こんなふうに花開くこともあるんだなあと教えてもらいました」

 この話を長い間寝たきりだった人が亡くなった時に、二、三度お話したことがあります。そうすると「うちでも娘や息子がこんなふうに変わってくれた」と反応があります。つらい中にこそ、思わぬ形で人を育てるあたたかい世界があることに気づかされますす。


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