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お茶の間仏法味

 やさしさときびしさと
長野 量一(福岡県・正法寺住職) サンガ第85号 <2007年1月>
 
イメージ 毎朝、小中学生が登校するころに歩いてお参りに行くのが私の日課です。行き会う子どもたちと「おはよう」の挨拶を交わすのが楽しみです。若いころは恥ずかしかったのですが、今はそういうことが楽しみのひとつになりました。歳をとったからだろうとちょっと複雑な気持ちです。

 時々うれしい出会いもあります。そのひとりに工藤良さんがいます。筑豊地域(福岡県)で悪名をとどろかせていた暴走族「極連會」の総長でした。不思議な縁で知り合いになりました。彼の話を聞くのは楽しみですが、仕事にしても生活にしても大変そうで胸がいたみました。

彼は暴走族を解散させてボランティア団体に再生させることに奔走しました。紆余曲折のすえ、ボランティア団体「GOKURENKAI」は誕生して、みんなは道路のゴミひろいや落書き消しをするようになりました。爆音で寝られなかった夜は静かな夜になりました。その後、自然のなりゆきで彼は不登校や非行で困っている子どもの親から相談を受けるようになりました。現在は牛乳配達の仕事をしながら、たむろしたり行き場のない青少年が集まれる「ふれ愛義塾」という場所を開設して相談活動をしています。

 工藤さんは若い子を連れて寺にやって来ることもあります。家出していた女子中学生をふたり、お寺であずかったこともありました。工藤さんはいつでも身をもって守るので絶大の信頼を得ています。ふれ愛義塾に出入りする少年たちは、近くのおじさんなどから時々、「おまえだち、あっこに行きようとに、なし(なぜ)そげなわるそ(悪さ)をまだするとか」と言われるそうです。それで工藤さんは、近所の人たちにそういうことをあまり言わないようにと頼むそうです。若い子には「言われても無理せんでいいき(いいから)、おまえだちがすぐ立派になったら俺の仕事がのうなるき(なくなるから)」「悪いことはちっと(少し)へらしてくれたらいい」と言うそうです。

 お説教はしないで、今こういうことをしていたら、必ずこういうふうになるということは言ってやるそうです。こんなに言っているのにまだわからんのかと言うのが普通ですから、甘やかしているようですが、相手のことを知りぬいた上での言葉です。まわりの者はもちろん、本人も少しは心を入れ替えなくてはと思っているし、心を入れ替えれば生まれ変われるものだと思っています。しかし、曲がり角をひとつ違えると途方もないところに出てしまって、もう元へはもどれなくなることはよくあります。工藤さんはそれをよく知っているのです。

 その寂しさや心細さ、ふがいなさや後悔、怒りや悲しみ、やり直すことが簡単ではないことが骨身にしみてわかっているのです。本人以上にその苦しみを知り通すきびしさ、また、なんとかなってもらわないと自分のいる意味がないというほど相手を案じるやさしさ、そういう心に支えられて人はようやく立ち直っていくことができます。

 仏さまの智慧と慈悲は絶対的なものですが、たとえとしてはごく身近にあります。

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