広報紙『サンガ』
TOP > 広報紙『サンガ』 > バックナンバー > お茶の間仏法味
バックナンバー
お茶の間仏法味

 我は咲くなり
加納 浩(秋田県・善應寺住職) サンガ第84号 <2006年11月>
 
イメージ 花や鳥などとくに関心はなかったのですが、少し関心をもつようになったのは、裏庭で雪の中に咲く紅色の花をみて不思議におもったからでした。それが寒椿であることをしったのです。

 数年前の冬の朝に偶然みたテレビ番組で、ある作家がイタリアやポルトガルを旅しており、その目的が椿を探すことでした。

 ヨーロッパの椿は、日本はじめ東洋の原産地からイエズス会の宣教師によってはるばる運ばれていった歴史があるというのです。

 旅の最後に樹齢200年ほどのヤブ椿の大木が紹介されて、作家は「これこそ日本のヤブ椿が改良されずにそのまま大きくなったものだ」と感激し、小さな花たちに手を添えながら「長生きするんだよ」と声をかけていました。その作家の椿を慈しむ姿に感動させられたのです。

 自分の居る寺の裏庭にひっそりと立つ100年以上の寒椿や何本もあるヤブ椿、その椿たちと西欧の地との結びつきを初めて知って、広く椿の文化があることを実感しました。

 今年2月24日、トリノオリンピックで荒川静香選手が金メダルの栄冠に輝き、日本だけでなく世界の喝采を浴びました。その時メダリストたちは小さな花束を贈られましたが、それが椿だったのです。1週間前の「毎日新聞」には次のような記事がのっていました。
 ……この冬は葉の緑だけでなく、雪や氷の中で咲くツバキの花が人々の目を楽しませている。北国というよりはるか西、イタリアのトリノである。冬季五輪の公式フラワーとなったツバキが、表彰台で渡されるブーケや会場の装飾に使われているからだ。……

 東洋の椿が「花木の貴族」として世界の人たちに愛されていること、日本の若いスポーツ選手たちが世界を舞台に活躍し、そこから感動を与えられる私たち、これらの事実は私たちの未来にまだ希望があるということを表しているのでしょう。

 ところで、荒川選手の勝利のかげには、私たちの想像をはるかに超えた厳しい練習や多くのご苦労があったことでしょうが、一番の勝因は「大舞台で自分を失わなかったこと、自分が自分になれたこと……」というある解説者の一言が印象的でした。それを聞いて次のような二つの言葉を思い起こしました。

 「人知るもよし、人知らぬもよし、我は咲くなり」

 「我々は世界である」は「我は世界である」ということです。

 世界の大舞台などに縁のない私たちにも「自分を失わず、自分が自分になる」ことのできる方法があるということを、この二つの言葉が教えてくれるのではないでしょうか。

 そのことを次のように言ってみたいと思います。

 「自分が自分になること」が成り立つには、花や鳥などの身近な生命を通して生命感覚を養うことが必要であること、また「赤信号みんなで渡ればこわくない」状況の中にあって、「自己のゆるぎない大地のような立脚地の確立」が必要なのであるということです。


戻る

Copyright(c) 2004−2007 HigashiHonganji ShinsyuKaikan All right reserved
(このホームページの記事・画像の無断転載を禁じます)
.