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お茶の間仏法味

 あなただけを……
武樋 和嘉子(新潟県・蓮光寺) サンガ第83号 <2006年9月>
 
イメージ 「あなただけを好きになる」こんな売り文句の人形のCMをテレビで見ました。「私を好きになってくれるもの」にとどまらず、「私だけを好きになってくれるもの」を、また、人にではなくおもちゃに求めるようになってきたということに少し驚きました。

 私も恋愛の上では、見えるのは互いだけとなり「私だけを好きになってほしい」という気持ちを抱いてしまうのは、とてもよく分かります。しかし、そのおもちゃは、あきらかに子ども対象に作られているものだったので、子どもの求める愛情の形が、とても狭い世界の中に入り込んでしまい、変化せざるをえなくなっているのだと思いました。

 幼い頃、私は3人兄妹でした親に対して「私を好きでいてほしい」と思ってはいても、「私だけを好きでいてほしい……」と求める感情は抱かなかったように思います。

 私が16歳の時、一つ上の兄が病気で1年近く入院をしていました。自宅から2時間もかかる病院でしたので、母は毎日病院と家との往復、兄の病状が思わしくない中、両親は肉体的にも精神的にも100パーセントを兄だけに向けていた時期でした。でも、私が寂しいと一度も思わないでいられた理由は、もし私が兄と同じ立場になったら、両親は間違いなく兄と同じように私へ100パーセントをつぎこんでくれる、という深い信頼があったからです。そしてまた、側には私を案じてくれる人たちがいてくれました。

 現代に「私だけを……」と求めてしまうのは、やはり親子間においても、人と人との関係性が極めて狭く、ゆえに一人だけを強く求めてしまい、周りの人たちの存在に眼が向けられない現実があるように思います。隣のおばちゃんは、いつも「気をつけてね」と声をかけてくれる、ふと「大丈夫よ」と背中を支えてくれる存在がある、そんな眼に見えない大事なものは感じられず、眼に見えるものでしか存在を認めない。自分を支えてくれる周りの環境が見えないだけ「私だけを好きになってくれなければ私は私でいられない」と、多くの子ども達が、そんな狭い世界にいることさえ気付かずに生きているのかもしれません。

 親鸞が晩年によく語られていたという言葉が『歎異抄』につづられています。
 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」

 この「親鸞一人がためなりけり」という部分を初めて読んだ時、「親鸞のためだけに」という勝手な解釈で思い込んでいました。最近改めて読み返してみて、この「一人」とは、他の存在を見失い孤立している「私だけ」の意味ではなく、親鸞が多くの人々との関係を大事に生きたからこそ、孤立でなく独立した一人のために、と言われているのだと気付かされました。

 そのことから改めて考えてみると、「私だけを好きになってほしい」というのは、狭い世界で孤立している状態であって、独立していく姿ではないということでしょう。幼い頃とは違って、大人になった今、我が身を振り返れば、やはり「私だけ……」という思いは強く、ゆえに孤立し歩み出せずにいる自分の姿が見えてきます。そこで初めて大事な問いを投げかけられていることに気付くのです。「何があなたを、あなたたらしめているのか?」と。


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