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お茶の間仏法味

 湯水のように流さずに
本間 幸惠(青森県・蓮心寺住職) サンガ第79号 <2006年1月>
 
イメージ  子どもの頃、新しい都市を迎えるときに、必ず母から言われた言葉がある。「お風呂に入って去年の垢を落とさなければ新年は来ないんよ」と。私は、新しい年は昨日から今日に変わるだけなのになにかへんと思ってきた。でも、お風呂が好きなので言いつけを守ってきた。私が子どもの頃、内風呂のある家は少なくて、多くの人は銭湯を利用していた。私も小学校低学年までは家族でよく行っていた。

 今から6年前、息子が京都の大学に行ったことを機に、今度は夫と2人で近くの銭湯や温泉に行くようになった。銭湯や温泉に行くといろいろな出来事に出会う。私は湯船に入る前に、必ず体の汚れを落として入るようにと親や近所の人に教えられたものだが、最近、お風呂場に入るやいなや、体の汚れも落とさずにいきなり湯船に浸かる人がいる。ちょっと待ってという間もない。どうせ汚れを落とす所だからと思っているのだろうか。そういえばテレビ番組の入浴シーンで、体にタオルを巻いたタレントが、汚れを落とさずそのまま湯船に入るのを見たことがある。だからその人もそれでいいと思っているのかもしれない。その人は当たり前と思っているから、他の人が不快を感じていることなど思いもよらないのだろう。

 ある時、銭湯で3歳位の女の子を連れたお母さんとお祖母ちゃんらしい家族に会った。女の子が悪戯をしたのか、私がお風呂場にいる間中、その子のお母さんはずっと叱り続けていた。女の子は泣きじゃくっていたが、お祖母ちゃんは知らんぷりだった。その周りの人たちはいたたまれなくなってしまった。

 10月の中旬、夫と一緒に岩手県の温泉に宿泊する機会があった。紅葉を眺めながら宿に着き、早速お風呂に行った。そこに、お祖母ちゃんと5歳位の女の子が入ってきた。しばらくして、2人の会話が聞こえてきた。「お祖母ちゃん、おしっこ」「そこでしなさい。あとで流してあげる」「いやや」「いいから」。結局、その子はお祖母ちゃんの言いつけに従うことになった。

 お風呂場では実にさまざまな光景がある。傍若無人ということが現代の世相だといわれるが、裸だからなおさらそういうことが現れるのかもしれない。ムッとさせられる場面も多いが、立ち止まって、まわりに向けていた視線を自分に向けてみる。すると、まわりに他の人がいることに気づかず、自分勝手にふるまって生きている私がいる。

 私たちは他の人とのつながりの仲で生きている。それは煩わしいことでもある。けれども、つながりを見失ったときには、私はどういうものになって生きているのだろうか。自分は煩わしい周囲の被害者だと思っているかもしれないが、そういう自分がいつの間にか加害者になっている。
 新年を迎える時に母が言っていた言葉は、本当はどんな意味だったのだろう。垢を落としてきれいで立派な人になるのではなく、垢を落としたらありのままの自分になる。良いことも悪いこともする自分自身の姿に気づいてほしいと伝えてくれていたのかな。人が生きている事実は、湯水のように流してしまうことはできないのだ。

 さあ、またお風呂屋さんに行こう。

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