
私は自分の預かっている寺での法事の場で一篇の詩を朗読することがあります。そこには難しい仏教用語などは使われていませんが、まるでお釈迦様からのメッセージのように聞こえるのです。掌の中に世界を見るように自分の人生を見つめている詩人の魂が伝わってきます。
くらし
石垣りん
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえて
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
(詩集『表札など』童話屋)
この詩は私たちがふだん何げなく口にしているものから始まり、それが空気や光、水や親きょうだい、師を、金もこころもと広がります。私が食べものとは思ってもいなかったものです。やがて台所に散らばっているものがありありと浮かび、父のはらわたにギョッとし、我が身の姿に帰り着きます。さいごの2行で、人間を失ったことへの悲しみの深さが迫ってきます。
初めて読んだ時はショックでした。それは食べてきたものへの記憶や執着、生きることのあさましさに悲しみを感じたこともなかった自分自身への驚きでした。おのれの姿に気づかされ、あふれる涙によって救われる不思議に、おごそかな気持ちになりました。作者の石垣りんさんは2004年12月26日に84歳で死去されました。
メシといえば、お米をマンションで作った人がいます。込めの食味鑑定士・大浦卓也さんは、プリンの空カップで発芽させた1本の苗をバケツで育てました。苗は驚くほど水を吸い上げ、どんどん成長して稲になりました。収穫して数えるとなんと900粒。お茶碗1杯ぶんです。こんな面白い稲の命の営みがあの田んぼで繰り広げられているのです。(スローフード関西事務局発行『フード&風土』)
昔の人は、お米には一粒ごとに仏さま菩薩さまが宿っておられると敬い、「おまんま」といって拝みました。ごはんはおむすびやおじやにもなり、残ったら庭にまいて小鳥たちの餌にもなります。最後には糊にもなりました。洗濯して糊づけした着物地をぴんと張る「洗い張り」がなつかしい。これがほんとにママの味。いのちを養う食をしみじみ想います。あなたは何を食べていますか?