島根県温泉津町で生まれた浅原才市(一八五〇〜一九三二)は家庭に恵まれず、平仮名以外の字はほとんど書けなかった。それでも、苦労を重ねるうちに近くの寺院で親鸞の教えを聴くようになる。下駄つくり職人だったときは、思いついた言葉を次々とカンナくずなどに書きとめた。ここでは読みやすいように漢字を混ぜて紹介したが、こうした作品が五千以上もある。
あるとき、才市の胸にこみ上げてくるものがあった。ほかの作品から類推すれば、おそらくは「われ、あり」とか「いま、ここに生きている」といった感動だったろう。しかし、これは何と説明すればいいのか。とても言葉で伝えることはできない。それはもう、「南無阿弥陀仏」の六字でしか表現できなかったのである。
悟りの中身を言葉で教えることはできないとして、禅の世界には、不立文字、言語道断、以心伝心といった言葉がある。そうではあるが、古代の宗教者たちは何とか表そうともしてきた。お釈迦さまは会衆に一本の花を示し、黙って微笑んだといわれる。キリスト教の聖書にある「聖霊が降って来た」といった文章も、イエスの感動している姿を絵画的に描写したものだろう。
別の歌では《さいち(才市)がごくらくどこにある、さいちがごくらくここにある》とも述べている男にとって、念仏は呪文でも祈りでもなかった。「南無」はサンスクリット語のナーモであって、言語を絶した帰依の表現だ。いわば「おお」といった感嘆詞である。アミタとは「無限」のことであり、おお、無限よ、いまこそ、われ極楽にあり、と喜んでいたわけである。