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こころのうた

 つとめる
東京医療保健大学教授 菅原伸郎 サンガ第80号 <2006年3月>


極楽浄土は一所

 つとめなければ程遠し

 われらが心の愚かにて

 近きを遠しと思ふなり


 平安時代末期の今様(流行歌謡)を集めた『梁塵秘抄』は、後白河法皇(1127〜92)によって撰述された。全二十巻の大半は散逸してしまったが、近代になって第二巻が発見され、この作品はその中に眠っていた。

 極楽浄土と言えば、西に向かって十万億の仏土をすぎたところにあり、臨終のあとに往く世界と信じられている。しかし、それは不勉強ゆえの誤解であり、本当は、生きながら、すぐにも体験できる感動の境地、この一カ所なのだ・・・・・と、今は名前も消えてしまった作者は教えている。

 『梁塵秘抄』には、法華思想に影響された作品が多い。しかし、この歌の場合は『観無量寿経』の《汝いま知れりやいなや、阿弥陀仏、此を去りたまうこと遠からず》という一節が背景にあるのだろう。別の箇所に載っている《極楽は遥けきほどと聞きしかどつとめて到るところなりけり》(仙慶法師) という歌でも、浄土とは死後世界のことではない、と強調されていた。

 二つの歌にある「つとめる」という動詞は、漢字なら勤める、勉める、努める、などと書くことができよう。「念仏のお勤めを欠かさないように」と読むこともできるが、ここでは仮に「勉強する」という意味に取っておきたい。書物を読むもよし、説教を聞きに行くもよし、元気なうちから自ら人生を学んでおこう、ということだ。

 他力本願の教えでは、阿弥陀仏は愚かな凡夫も無条件に救ってくださるはずである。といって、漫然と日を送り、かつ、死後も楽しく、などと願うことは虫が良すぎる。それなりの勉強や努力、つとめることもやはり大切ではなかろうか。


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