日本文芸家協会の理事長も努めた高見順(一九〇七〜六五)は、五十六歳のときに食道がんの宣告を受けた。入退院を繰り返していたころに書き留めた詩五十余編は詩集『死の淵より』(講談社文庫)として発表されており、今回の作品「みつめる」はその一つである。
飼ったことのある人なら、愛犬がえさや散歩を催促する様子はすぐ分かるだろう。まさに「ひたむき」な目で、のぞき込むようにこちらを見つめてくる。いま、小説家でも詩人でもある作者は、薄明かりの病室で眠れない夜を過ごしている。自分の、ここに確かにあるこの意識は、この先、どうなっていくのだろう。無駄なこととは分かっていても、ついつい、虚空の向こうに目をこらしてしまう、という告白だ。
戦前は左翼の活動家として治安維持法違反で検挙もされた人であり、あたふたと神仏にすがるようなことはない。といって、この病気を前にしては問題を棚上げにしておくわけにもいかない。遺された『闘病日記』(岩波書店)によれば、イデオロギーにはこだわらないで、鈴木大拙や暁烏敏や内村鑑三らの宗教書を大切に読んでいたことが分かる。終わりまで特定の信仰を持つことはなかったが、亡くなる九ヶ月前、一九六四年十二月には、こんなことにも気づいていたのである。
《私は、ふと、こんなことを思った。極楽往生とは死んで極楽に行くことではなく、この世に生きているうちに、すでに極楽往生がある・・・・・・》