37歳で亡くなった宮沢賢治(1896〜1933)が、死の床で清書した『文語詩稿・一百篇』にある題名のない詩だ。寝巻きを日に三度も替えつつ、こんな姿で生き延びている私は下品、つまり最低の人間です、と父母に懺悔している。
岩手県花巻の宮沢家は浄土真宗の家柄で、質・古着商だった父親も親鸞の教えを学んでいた。しかし、息子は早くから日蓮主義に傾倒し、両親にも改宗を迫っていく。父には拒絶され、母には泣かれ、あるときは家を飛び出し、帰郷しては経済的な援助を求め、いわば豊かな商人のやんちゃ坊主といった面もあったようだ。
賢治の作品は理想に燃えていて、ひたむきさにはだれもが感動するが、一方で「我のみ道に正しき」という面もあったらしい。亡くなるまで独身で通しており、親の身になって考えることも少なかったろうが、ここに至って反省もし、詫びたくもなったのである。
妻帯して子どもが生まれた親鸞には、80歳を過ぎてから息子の善鸞に裏切られ、親子の縁を切る苦労があった。聖人といえども、子育ての難しさをしみじみ味わったことだろう。独身だった法然や道元や日蓮は知りえなかった試練である。遺稿の中に先の詩を見つけたとき、賢治の父親は親鸞の心中を改めて思ったかもしれない。