室生犀星(一八八九〜一九六二)の、「ゆきみち」という四行の詩だ。夜に積もった雪は深く、まだ細い道しかついていない。向こうから知らない人が来て、何とかすれ違った。そのときは無言だったが、少し歩いて互いに振り返り、そっと会釈を交わした、というのである。
一九四七年秋に発表された詩集『逢ひぬれば』(新潮文庫『室生犀星詩集』所収)にあり、犀星の疎開先だった信州・軽井沢で書かれた。敗戦直後の厳しい冬を、老いつつあった詩人は何とか生きていた。展望のない日々であり、同じ詩集では《どうせまけたはうんのつき/下駄を引きずりぼろを下げ/野みちを行けば/はなをは切れてゆきとなる》(「木枯」)とも、つぶやいている。
そういう時代ではあったが、「ゆきみち」の朝は意外に温かかった。打ちのめされている人間同士なのに、一瞬の触れ合いのあとで二人は振り返っている。仮に、物資のあふれる都会の、広い通りだったとしたら、こうした関係は生まれまい。無愛想にやり過ごすか、雑踏をかき分けるか、もちろん振り向きはしないだろう。
今日でも、たとえば定年が近づいた人ならば、よくよく共感できる心情ではないか。働き盛りのころは気づかなかったことだが、五十代後半ともなれば、通勤や買い物の途中ですれ違う人たちが妙に懐かしくなってくる。敗戦ではなくても、挫折や悲哀を味わってくると、同年配の人たちに「よお、ご苦労さま」と声をかけたくなる。
勝っているときよりも、負けてから本当の世界が見えてくることもあるものだ。