かたわらにはいつも母がいたように思う。7歳上の兄との三人暮らしだったが、母は朝早く起きて玄米などの自然食で朝食を作ってくれた。泥んこになった服もきれいに洗濯しアイロンをかけてくれたし、靴も磨いてくれた。父と母は40歳も年が離れていて、3日おきくらいに帰ってきたり、1月も家にいないこともあった。父の家庭は遠く離れた地方の町にあった。だけども母は「愛人」であることを恥じてはいなかった。父をとても尊敬していた。
週末になると父はよく築地の本願寺に連れて行った。名前の「我聞」は、熱心な仏法聴聞者の父がお経の最初の「如是我聞」からつけたものだ。明治気質の父で、生活は質素だったが、父や母からいっぱい愛情をもらったと思う。母と別れ、やがて父は死んだ。家族のために土地を残してくれた。父の通夜で遺影の前に立った。見覚えのある優しい父の笑顔があった。家族だけ通された部屋で、喪主の義姉が父が我聞さん兄弟のことをとても愛していたことを伝えてくれた。母は「お母さんはお父さんに感謝しているの。あなたたちを残してくれてね」と言った。夏の終わろうとしていた季節だった。
「目に見えない世界を父や母は大事にしていたと思います。父はぼくらのことをきちんと認知してくれていたし、母はとても父を尊敬していて、父親の悪口をぼくらは聞いたことがなかったですね。それがぼくの生きていく上での土台になっているのかもしれない。なんで生きているんだろう、そんな疑問におそわれたとき、それは現実を受け止めていく力になるんじゃないかと思うんですね」
19歳で父親になった。仕事や遊びに熱中して家庭をかえりみない生活。別れた。一年経ったころ、信頼し合っていた父や母のことを思い出した。自分は逃げていると思った。妻と息子のために全力を尽くしたいと思った。二人目の子どもの出産のとき、妻が病院から帰ってくるまでの日々を息子と二人で生活した。ヘトヘトになった。あらためて妻の大変さを知った。そして少しだけ父親になれたと思った。
「上の息子が幼稚園のころ、絵を描いてきたことがあったんです。息子がいてママがいてパパがいるというありふれた絵なんですが、そこに描かれていたぼくは一番小さかったんです。妻は笑っていましたが、ぼくはとてもショックを受けました。それは『お父さん、ぼくともっと遊んでよ』という息子からのメッセージだったんですね。それからぼくは一生懸命子どもと関わるようになりました。だから息子が小学校の6年生になっていじめられたとき、自分から正直に打ち明けてくれてとてもうれしかったんです」
子どもがいじめから逃げないで立ち向かっていく力になるには、家族のつながりが大事ではないかと河相さんは思う。まず親であり大人である自分が両親や夫婦のつながりを大事にすること、そして子どもが自分で解決できない問題にぶつかったときに、後ろから見守り、アドバイスしてあげられたら、と思う。

幻冬舎
かあい・がもん…俳優
1975年埼玉県生まれ。小学4年生の時に児童劇団に入団。91年、TBS『天までとどけ』に出演。次男信平役を好演。94年、フジテレビ系『時をかける少女』で一躍人気者に。主な主演作にドラマ『未成年』(TBS)、『みにくいアヒルの子』(フジテレビ)、映画『緑の街』、舞台『天国の本屋』などがある。著書に『流れ星の家』『いじめられない力』がある。