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 桂 由美さんに聞く
 愛を誓う花嫁に最高の幸せを
写真イメージ
 「愛を誓う花嫁は、最高の幸せに包まれていなければならない」。

はかなげでたよりなく、不確かなウエディングドレス。

それゆえ気高く美しい、と桂さんは思う。

多感な少女期は戦争だった。東京大空襲の翌朝、焼け跡には何千もの人が折り重なって死んでいた。

大切な人の命や夢や希望が無残に打ち砕かれていく現実を目のあたりにした。

乃木坂にそびえるロココ調の白亜の城・ブライダルハウスは、悲惨な戦争とは対極にある桂さんの夢の世界なのかもしれない。


 母のために花いっぱいの葬儀をした。参列者には「ファッショナブルな喪服で」と案内を出した。桂さんにとって母のみつ子さんは母親以上の存在だった。ビジネスパートナーでありよき相談者であり、何よりも人生の師であった。亡くなって20年近くなるが、死が永遠の別離だという実感はない。むしろ死は大切な人と自分が一つになることだと思えてならない。母の年齢に近づいて、桂さんは母の人生の続きを生きているような気がする。

 「若い日の母の記憶は、いつもくるくる休みなく働いている姿です。母は東京に行って勉強したいという夢があって結婚したんです。昭和初期の大不況のときでした。3歳の私と乳飲み子の妹を抱えながら文化服装学院に通いました。自分の子どもには望むだけの勉強をさせてやりたいと思ったんでしょうね。習い覚えた洋裁や編み物を近所の奥さんを集めて教える教室を開き、生徒たちが編んだセーターやカーディガンを主婦の友社のショップで売ってもらった。なにがしかのお金を主婦たちの手元に渡すことができた。それが評判となって専門の学校にまで発展したのです。食事の支度も掃除も寝ついた舅の世話も、身を粉にしてやりました。でも、母はそれが生きがいだったのだと思います」

 大学卒業後、桂さんは母の洋裁学校の教師となった。数年後、パリへ留学。帰国後、ウエディングドレスのデザイナーになることを決意。ウエディングドレスで式を挙げる花嫁がまだ3パーセントにすぎなかった当時の日本で、ブライダル専門店「桂由美ブライダルサロン」を開いた。花嫁の要望に対して「NO」と言わないで「YES」から始めることを信条とした創意工夫の中で、オリジナルなユミカツラブランドが次々と生まれた。和服の「おひきずり」をヒントに考案した「ユミライン」の美しさに世界が絶賛した。

 「ニューヨークでテロがあって、あれからアメリカの婚姻率が上がったんですね。危機的な状況に遭遇すると人間は本来の姿を取り戻すのかもしれません。今の日本は平和ボケじゃないでしょうか。週末婚、楽しいときだけ共有してあとは別れて住んだほうがいいと。結婚の届けも出さない、義務も負わない、時間だけ共有すればいいと。アメリカもそうだったと思うんですね。それが明日どういうことになるかわからなくなると、ちゃんとした家庭をもち、そして自分の生きた証しを次の世代に受け継ぎたいということがふつふつと沸いてくる。だから正式な結婚が増えたというんですね。

 愛した人と結ばれて結婚する。そして子どもを産んで、育て、その子どもたちが次の日本を築いてゆく。ごく自然な、ごく人間的な生き方を自立した現代の若い女性にもしてほしいと思います。仕事に生きるか結婚に生きるかではなく、仕事にも結婚にも子育てにもたくましく生きていくのが21世紀の女性像であってほしいですね」


徳間書店
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かつら・ゆみ…ブライダルファッションデザイナー
東京生まれ。共立女子大学卒業後、フランスへ留学。1964年、日本初のブライダル専門店を赤坂にオープン。69年、全日本ブライダル協会設立。75年、乃木坂に「桂由美ブライダルハウス」建設。91年、ヨーロピアンエクセレンス協会よりトライアンフ大賞を受賞。93年、前ローマ法王に博多織の祭服をデザイン・製作し献上。99年、東洋人デザイナーとして初めてイタリアファッション協会正会員となり、その後、パリオートクチュールコレクションに舞台を移しコレクションを開催。昨年7月パリ店をオープンした。


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