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インタビュー
 鷲田清一さんに聞く
 考えるレッスンが哲学するということ
写真イメージ
 「哲学カフェ」を始めた。2階にあった哲学を1階に下ろし、街に出て現場の声を聴き、思索し、議論を深める。鷲田さんの「臨床哲学」は、哲学の原点に帰ることだった。

――いずれ死ぬとはわかっているのに、それでも私たちは生きている。その理由は何か――

その問いを解きほどいてくれたのは「弱い」場所から届く声だった。

ケアしている人がケアを必要としている人によって深くケアされている事実。

「弱さ」の力、脆さや壊れやすさがひき出す可能性について、鷲田さんは哲学的思策を深めていく。


哲学というと何か堅苦しいイメージがあるが、もともとヨーロッパでは哲学語の基本は日常語なのだそうだ。

 「哲学とは考えるレッスンなんです。家族とは何か、幸福とは何か、社会とは何か。日常自分たちが使っている言葉をきちっと定義して見直していく。フランスでは文系に進む高校3年生は週8時間哲学の授業があります。理系でも3時間。成熟した市民になるためにおさえておかなければならないものについての考え方のレッスンをやるんです。

 私が〈臨床〉という言葉にこめましたのは、今は哲学者は書斎や研究室で頭をかかえているだけですが、世の中にはいろんな所でいろんな問題が起こっている。その現場に行って、そこで使われている言葉でみなさんの議論に加わろうという試みなんです。苦悩する現場の声を聴き、苦しみを共にして対話することから始めようということなんです。

 ヨーロッパではパブリックつまり公論が生まれたのがカフェなんです。上流社会の人は家に文化人を集めてサロンを開いたのですが、パブリックはカフェで生まれたんです。いろんな立場の人が集まってしゃべって、それをペーパーで配ってみようかということでジャーナリズムが生まれた。そんな思いから哲学でカフェをやってみようと思ったんです。だから臨床哲学というのは哲学の原点に帰るということで、何か特殊な哲学をやるということではないんです」

 看護や介護の現場で、しばしばケア関係の逆転が起こるという。鷲田さんはケアを「支える」という視点だけではなく、「力をもらう」という視点から考える必要があるという。また「他者の意識の宛先になる」ことがどれだけ人に生きる力を与えるか、とも。

 「生きる力というのは、自分の存在が他人の中で意味があると感じるところから生まれます。実際私が経験したことですが、手術で入院していたとき、ナースの見習いの女性が毎日お昼ご飯が済んだころ私たちの病室にやってきて、締めたカーテンの中に入っておじいさんの上にうつぶせになって30分ほど昼寝していくんですね。はじめは何て横着なナースだろうと思っていたのですが、いつも朦朧としているおじいさんの目がパッチリし始めた。彼女が昼寝をしている間、廊下のほうを横目で見ながら起きているんです。たまに手で彼女の背中を押している。看護師長に見つからないよう監視しているのです。おじいさんは24時間要介護で見舞いにきてくれる家族もいない。やんちゃなナースが覆いかぶさって昼寝をして、おじいさんは生きる力をもらったんですね。足に人の重みを感じ、自分が他人を支えていると感じた。また、自分が見ていないとこの子はだめになると感じた。つまり、自分の存在が他人にとって意味があると感じられるとき、人はこんなにも力が出るのだということですね」


角川選書


わしだ・きよかず
1949年京都市生まれ。京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程終了。現在、大阪大学文学部教授。専攻は哲学・倫理学。主な著書に『「聴く」ことの力』『顔の現象学』『現象学の視線』『メルロメ=ポンティ』『じぶん・この不思議な存在』『まなざしの記憶』『悲鳴をあげる身体』『〈弱さ〉のちから』『ことばの顔』『時代のきしみ―〈わたし〉と国家のあいだ』『モードの迷宮』『「待つ」ということ』等多数。


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