ドキュメンタリー映画『A』は、オウム真理教の施設の内側に入ってカメラを回し続けた作品である。
「オウムを撮り、信者と接することで、なぜ愚直なほどに善良な彼らがこんな凶悪な犯罪を起こしたのかをずっと考え続けました。オウム事件の年は阪神・淡路大震災がありました。予測不可能の天災と動機がわからない大量殺人。どちらも防ぎようがない。2つの事件は、社会がそれまで保持していたセキュリティがいかに無力であるかを露呈しました。とくにオウム事件は、他者に対する恐怖や不安感を強く喚起しました。
アフリカのサバンナにトムソンガゼルという群れで生きる草食動物がいます。群れを作っておけばライオンに襲われたときに被害は最小限ですむ。10頭の群れだったら1頭食われて10分の1だけど、1000頭の群れだったら1000分の1ですからね。動物は危機になったら群れというか、大きな流れに身を寄せる本能があるのですが、しかし同時に必死に逃げて、群全体が崖から落ちてしまうリスクもある。
ぼくは今の日本の社会を見て、そのリスクが濃厚になってきているなという気がしてならないのです。群れに従属するというのは、言い換えれば主語を大きなものにゆだねるということです。自分なのか我々なのか国家なのか、要するに集合名詞です。主語がよくわからない。そうなると結構平気で勇ましいことを言えちゃうわけです。1人が言い2人が言い、100人が1000人がとなってみんなで大合唱になると、気づいたらとんでもないことになっている。一人称単数ではない主語に付随する述語は暴走します。全体の一部となりながら、いつの間にか誰もが声高になる。戦前の日本、あるいは有史以来の戦争や虐殺のほとんどは、そんなメカニズムで始まります。みんなが一人称で考えることを停止したときに、共同体内部の異物や外部の仮想敵への憎しみや殺意が駆動して、悲惨な結果へと転げ落ちる。
昨年モンゴルへ行ったときに、大草原の羊の群れに必ず数匹の山羊がいることに気づきました。不思議に思って理由を聞くと、羊は足元の草を食べてしまうと、そこから移動するという発想がない。放置すれば周囲の草を食べつくしてそのままじっとしているものだから、やがて全体が飢えて死んでしまう。羊はとても従順な動物だから、1匹でも違う場所に移動すれば全体が動き出すけど、その1匹が滅多にいない。そこで山羊が登場する。山羊は協調性がなく、勝手に動き回る。その結果、羊は山羊に先導されて移動することになり、新しい草を食べることができて飢えずにすむというわけです。
嘘か本当か分からないけれども、いろんなメタファーに満ちた話です。危険なカリスマが現れたときの話にもなるだろうし、共同体における異物の必要性の話にもなる。でも、何よりも視点を変えることの重要性を示唆していると思います」
もり・たつや
1956年生まれ。ディレクターとしてテレビ・ドキュメンタリー作品を多く製作。98年に自主制作ドキュメンタリー映画『A』を発表、ベルリン映画祭に正式招待される。01年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書に『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『放送禁止歌』『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』、『こころをさなき世界のために 親鸞から学ぶ〈地球幼年期〉のメソッド』、姜尚中氏との共著『戦争の世紀を超えて』など。最新刊は、『悪役レスラーは笑う』