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 浜田 晋さんに聞く
 生き、老い、ときに呆け、死ぬる生
写真イメージ
 東京の下町、上野下谷神社の裏通りに浜田クリニックはある。
 バブルによって江戸時代からつづいた長屋や路地裏がブルドーザーで押しつぶされた。
 路地に人々のざわめきが消え、老人たちが取り残された。
 崩壊したのは家族や地域だけではない。「豊かな国日本」に翻弄され、棄てられた無数の「こころ」。
 浜田先生の「弔い合戦」は今もつづく。枯れていない。
 (本誌2面に『老いるについて』を連載中)


 闇市をさまよっている思いに、浜田先生はふとかられる。戦死した親友、戦災や原爆で焼け死んでいった同胞たち。その死体の上に立って生きているという足に伝わる実感は今も消えない。戦後、思いもかけず日本は再生し繁栄をきわめたが、浜田先生には醜怪に見えた。自分もその片隅に生きている。天皇も民主主義も信用できなかった。

 なぜ精神科医になったのか。浜田先生は多くを語らないが、豊かさの一方で「棄民」のように棄てられていく人たちに、闇市をさまよっている自分の姿が重なって見えるからなのかもしれない。「私の一生は、私が『大切に思っている人々』の弔い合戦だという思いが消えない」とある著書に書いている。

 東大闘争の火中で浜田先生は「患者にとって医療とは何か」という問いに直面する。やがて東大を辞し、地域精神医療の活動に取り組み、決意して町医者へと転じていくのである。

 「それまでの精神医療は、隔離収容主義だったのです。精神病院に患者を閉じこめて、治療と称して実験的なことを多くやっていた。病院は人里離れた所にあり、そこに収容して患者を一生閉じこめる。患者を排除して社会を守っていこうとしていたのです。

 そうではなくて、街の中で下駄履きで行ける診療所があってもいいのではないか。東京の下町は明治時代から町医者が開業し、かかりつけ医として庶民の医療を担ってきたのです。街の人たちと一緒に住んで同じ暮らしをしながら、長く患者さんを看ていく。自分には何もできないかもしれないが、ただそばにいて彼らを見守りつづけようと思ったのです」

 老人の街となった下町で、浜田先生は「呆け老人」と呼ばれている人たちに「ただ生きていてください」とエールをおくる。普通の人、健康な人にはむずかしいけれど、金や権力や見栄を越えた世界に生きているあなたであるがゆえに、あなたの存在自体が豊かさに浮かれているこの国の人々の「救い主」かもしれないと。そして「美しく老いるなんてくそくらえ!」と喝破する。

 「尊敬する真宗の坊さんに、おまえは医者だから病気をなおせばいい。そのあとのどう生きるかということは坊主の問題だから、あとは坊主が引き受けるから、おまえは病気をなおして坊主にちゃんと紹介しろと、こう言われましてね。はたしてうまくやってくれる坊さんがどれだけいるかわからないけれども、なるほどそういう考え方もあるのかと思いました。それで『どう生きればいいんですか』と聞いたら、『ただ生きればいいんだ』とおっしゃった。それがピンと心に響いたんです。老人だけではない。私たち一人ひとりの問題ですね」


はまだ・すすむ
◆精神科医◆
1926年生まれ。東北大学医学部卒業。東京大学医学部精神神経科、都立松沢病院、都立精神衛生センターなどを経て、1974年、東京・上野に浜田クリニックを開設、現在に至る。地域医療への貢献を高く評価されて、1992年に若月賞受賞。著書に『老いを生きる意味』『心をたがやす』『病める心の臨床』『このいとしきぼけ老人たち』『こころ医者の記』『老人たちは今』など多数 。



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