三年前、お父さんが亡くなったとき、故人愛用の藍大島紬を着せてあげた。出版されたばかりの自著に「お父さん、ありがとう」と筆で書いて柩に納めた。苦境のとき「山より大きな猪は出えへん」と励ましてくれた。明治生まれの誇り高い人だった。
服飾研究家でもある市田さんは、伝統文化への関心から世界の民族衣装を集めるようになった。それも半端ではない。三十年かけて百ヵ国以上を回った。少数民族を訪ねて辺境の地への旅だった。いつもお母さんと一緒だった。今は動けない体となったが、旅した当時は八十過ぎても好奇心の固まりだったという。市田さんのあふれる好奇心は、母親ゆずりかもしれない。
「電気やガスや水道などの恩恵を受けることもなく、その土地に生まれて子どもを産んで育てて、その土へ帰っていく。そんな人たちに触れてみると、日本人が忘れてしまったやさしさとか暖かさに、はっとさせられることがあるんですね。人間の幸福って何だろうと思います。
アラビア半島の南西にイエメンという国があります。シバの女王の宮殿のあるところです。アルハジャラという村があって、断崖絶壁の上に家があるんです。昔は女たちがふもとから山の上まで水を運んだといいます。現在は水道が引かれて、女たちは重い水を運ぶ作業からようやく解放されました。私たちが行ったときに、子どもたちがワッと集まってきて『キャンディ、キャンディ』と言うんです。あげるんだったらみんなにあげなければいけないし、『ノー、ノー』と言った。男の子が一人最後までついてきた。根負けして一つあげたんです。名前を聞いたら『アリババ』と言うておりました。『お願いだからもう一つおくれ』と言う。『ダメダメ』と言ったんだけど、箱の中にあと一つだけ残っていたので『あげるわ』と言ったらすごく喜んでね。私のカバンを引っ張って上へ上へと行くんです。家の石垣に、アリババと同じ年頃の盲目の少女が座っていました。アリババは自分がもらった飴玉の一つをその少女に握らせた。彼は自分がもらうときにいつも一つ余分にもらってその女の子にあげているんですね。貧しいけれども、思いやりとかやさしさとか、もう毎日の暮らしがそういうことを教えるんですね。
文明が発達すれば、文化はけずりとられていくんですね。アラビア半島のシリア砂漠には*ベドウィンの人たちが住んでいましたが、政府が砂漠の緑地化のために都市の周辺に石の家を建てて定住化政策をやったんです。ベドウィンの人は黒地に赤糸の刺繍の伝統の服を着ていたんです。また、ベドウィンには素晴らしいもてなしの文化があったのですが、都市のレストランがその役割を果たし、伝統の服も黒地のプリントの服になってしまいました。生活が快適になれば、みんなそっちへ流れていってしまうんですね。深い文化の蓄積を大事にしたいものです」
*中東・北アフリカの砂漠地帯に住むアラブ系遊牧民
いちだ・ひろみ
◆服飾研究家◆
大阪生まれ。京都府立大学短大国文科卒。女優、美容師などを経て、現在は市田アドプラン代表取締役。日本和装師会会長、民俗芸術学会会員、大谷大学講師ほか。服飾研究家として世界百カ国を訪問、少数民族の取材や各地でのきものショーをプロデュースするなど文化交流の一翼を担っている。著書に『世界の衣装を訪ねて』『「遊び上手」で生きなはれ』『しゃきっとしなはれ』『絆』『「ありがとう」と言える人、言えない人』など多数。