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インタビュー
 重松 清さんに聞く
 「死ぬな、殺すな!」十四歳の少年少女
重松 清さん
 漫画『あしたのジョー』に登場するマンモス西のことを覚えているだろうか。
真っ白な灰になるために燃え尽きたジョーの陰で、パッとしないボクサー生活に見切りをつけて、
下町の乾物屋の婿養子におさまって物語の中で静かに忘れ去られていった男。中年になった重松さんは思う。
「燃えかすの残る人生や不完全燃焼でくすぶり続ける暮らしだって、まんざら捨てたもんじゃないだろう」。
 燃えかすを重松さんは「余り」と言い換えてみる。割り算で残ってしまう余り。だれにだって「余り」はある。断ち切れない夢や後悔。切なさやため息。そんな人間の「余り」を作家である重松さんは等身大で描く。直木賞をとった『ビタミンF』は、理想の父親になりきれない「余り」の部分でぶざまにつまづいたり空回りするオジサンたちを描いたものだ。 

 「生きるということは、割り切れないものをいっぱい背負って生きているわけですよね。青春の価値観で年をとることを見たら、すごくカッコ悪いと思うんだけれども、ほんとにそうなのかなと思うんです。ときには頭を抱えてへたり込むことがあっても、燃え尽きない自分を恥じることなく、退屈で平凡な日々を、ありきたりの幸せや不幸せを一つずつきちんと噛みしめながら過ごしていく。それはすごく難しいことだと思うし、だからこそかけがえのないことなのだと思います。ぼくらはそれこそたくさん言い訳しながら生きているわけであって、言い訳しちゃいけないという潔さがかえって自分を苦しめているわけですね。

 ぼくの中の最低限にして最大限の価値観というのは、生きていれば勝ちだと思っているのです。潔さを追い求めて自殺しちゃうぐらいなら、言い訳してウソついて生き延びたほうがいいと思う。昔、『太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ』と言った東大の総長がいましたが、ぼくは太った豚になってもいいと思いますよ。

 乾物屋になったマンモス西のほうが、燃え尽きたジョーよりも幸せかもしれない。マンモス西にだってマンモス西の幸せがあるということを知っておかないと、それこそボクサーとして挫折したとたんにすべてが終わってしまう。そういうオールオアナッシングという価値観できちゃうと、大人も子どももすごくきついと思うんですよ」

 小説『エイジ』は、通り魔事件の周辺で生きる少年の日常を描いた傑作だ。近作『疾走』では殺人を犯してしまう少年の心の荒野の叫びを描いた。重松さんにも十二歳と六歳の娘さんがいる。被害者の親、加害者の親にいつなるかもしれぬ時代。子どもに対してどう向き合えばいいのか。

 「百万人の十四歳がいて、百万人全員に有効な一言というのはないんですね。ただ一つあるとすれば、もうほんとに『死ぬな、殺すな』としか言いようがないですね。そもそも理由があるから生きているのではないのでしょう。また、人を殺してはいけないというのを、理由で説明しなければならないとなるときついですね。ある一線を越えたら子どもに対して問答無用で、おれがイヤなんだからイヤだと言うことしかない気がするんですね」


しげまつ きよし
◆作家◆
1963年、岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・作家へ。91年、『ビフォア・ラン』でデビュー。99年、『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。子どもたちを描いた小説が高く評価される。2001年、『ビタミンF』で直木賞を受賞。主な著書に『定年ゴジラ』『見張り塔からずっと』『半パン・デイズ』『日曜日の夕刊』『トワイライト』『隣人』、近著に『疾走』『哀愁的東京』など。


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