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インタビュー
 竹田青嗣さんに聞く
 自由に生きたいという人間の本質に根ざして
竹田青嗣さん
 チェーホフや太宰、フッサールと並んで、井上陽水の歌との出会いは竹田さんにとって青春時代の運命的ともいうべき出会いであったという(『陽水の快楽』)。イデオロギーや理想という観念ではなく、《エロス―欲望論》から世界を解き明かそうとする竹田哲学の魅力の原点はそこにあるのかもしれない。
 どこかで竹田さんは書いていたが、小学生の頃から「いつか自分も死ぬ」という脅迫観念におそわれることがしばしばあったという。ここに来て文芸評論よりはフッサール、ニーチェ、ハイデガーなどの哲学を読み解く著書が多い。

 「ぼくは在日韓国人で、とくに大学時代、生きていく上でいろいろ思い悩んだのですが、はじめに足掛かりになったのが文学でした。文学がよかったのは、一つは青年期にはいろんな問題が急激に迫ってきますが、ぼくの場合民族的に生きられるかどうかということもあり、なかなか決着がつかない。そういうすぐ解決が出ない問題に対して、文学というのは答えを急がない。絶望しないでゆっくり考えていける場所だったんですね。

 もう一つは、社会に出ると習俗のルール、世間がもっている一般的なルールがある。大学を出た人間はこうあるべきとか、一人前とはこういうことだとか。習俗のルールはいつも間違いというのではないですが、それに応じられないときが人間にはある。そのときに世間のルールしか見えなかったら、非常に生きるのが苦しくなります。文学は、一般的な見方からは違った人間のあり方がありうること、いろんな場面で人間がさまざまな問題にぶつかって苦しんでいることを教えてくれます。だからすぐに明確な答えを出せなくても、考えながら生きていくことができるわけです。ぼくの場合も自分の問題にはっきり決着をつけられなかった。そこで、社会の問題についてはしばらくおいて、とりあえず自分の実存の問題を文学の中で考えてきたんです。

 それがある頃から哲学に興味が移ってきたのですが、哲学は実存の問題だけではなく社会の問題についても深く考える方法を持っています。近代社会の中心の原理は「自由の相互承認」ということですが、これは人間は生まれつき自由なんだとは考えない。他者の自由を承認するだけでなく、他者の自由を侵害した場合しっかり責任をとれる、そういう能力をもったとき、はじめて人は「自由」を認められる。このことを相互的に認めあうというのが「自由の相互承認」の考え方の基本です。

 いのちに対する理解も、たんにいのちを大事にしようというのではない。自分をよく内省してみると、誰もほんとうの意味で自由に生きたいという気持ちを持っているし、それと同じ気持ちをどんな人も持っていることが分かるはずです。しかし単に頭で理解するだけではなく、本当にそれを深く了解するのは簡単ではないですね。他者との関係の中で、共に困難を耐えあったり、乗り超えようとしたりするような経験を通してはじめて、他者の「自由」についての深い了解がやってくる。いのちの理解というのは、まずそういうことが基本だと思います」


たけだ せいじ
◆文芸評論家
1947年、大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。現在、明治学院大学国際学部教授。大学では「人間論」を担当。文芸評論・思想・哲学など幅広い分野で活躍。現象学の立場から独自の「欲望論」を展開する。著書に『〈在日〉という根拠』『陽水の快楽』『現代思想の冒険』『意味とエロス』『自分を知るための哲学入門』『はじめての現象学』『ニーチェ入門』『ハイデガー入門』、『竹田青嗣コレクション』全4巻(海鳥社)など多数。


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