かけだしの記者だったころに中国人の古老に言われた「見えない像を見なさい、聞こえない音を聞きなさい」という言葉をしきりに思うようになった。
ルポルタージュとして衝撃を与えた『もの食う人びと』。飽食の日本を出て、紛争と飢餓戦線のただ中で、等身大の「私」から世界を噛みしだいた。飢えて死を待つ枯れ枝のような少女。チェルノブイリの森で汚染されたキノコを食べて命を紡ぐ老人たち。エイズ感染地域の村人たち。「いまあるもののみを食べ、叫ばず騒がず、明けてはやせ、暮れては衰えていく人びと」。記録も同情もされないミクロの悲しみがいたるところにあった。しかし、そこにこそ世界の中心があるのではないか、と辺見さんは思った。「むごい」では言い尽くせない、痛々しさやいとおしさの意味を込めて「もごい」という言葉を辺見さんは使う。存在の哀切さ、それが辺見さんの発想の基点だ。だからアメリカを中心としたアフガンへの報復戦争に対して、「私はブッシュの敵である」と言い切る。
「ぼくは戦場取材も何度か経験しています。戦場に転がっている人間の断片も見ました。爆弾の下にいる人間の立場に立たなくてはならないのに、日本政府は爆弾を落とす側の論理にはまって、殺す側に与してしまっています。有事法案に見られるように、いつでも戦争のできる国にしていく危険な動きがある。敗戦という挫折から日本は何も学んでいないのです。
今度のアフガンに対するアメリカの爆撃の中にも〈虫けらのようなもの〉という発想がありますね。あれは自分たちと同等の人間に対するものではありません。あたかも害虫駆除のような感覚でやっている。ぼくはそういう発想をする者たちを憎むし、そういうふうに発想する人間存在もまた非常に悲しいものだと思います」
晴れがましい意識には落とし穴があると、表現者としての辺見さんは思う。戦時日本の翼賛に走った新聞や文学者たち。また、文化大革命の影響の残る中国での記者体験で、夥しい数の人が一方向に動くときの怖さも感じた。「歴史的な高揚に自分を同化していけばいくほど、とくに表現者というのは大きな間違いを犯すと思うんです。どこかで醒めたまなざしが必要です。〈まなざしは澄んでいてはいけない〉というのがぼくの主義なんです。無謬のものではない、どこか傷ついたものの目というか、暗いまなざしというか、それが今の時代には特に必要ではないかと思うんです」
へんみ よう
1944年、宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒業。70年、共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て96年退社。78年、中国報道で日本新聞協会賞、91年『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞受賞。このほか『ゆで卵』『眼の探索』『独航記』『単独発言』など著書多数。