
初めてインドを訪ねたのは74年。1年間、遺跡や博物館、寺院を毎日休むことなく見て巡った。芸術や宗教、あらゆることを根底から考えなおす旅だった。仏跡を巡礼し、2500年の時空を越えて、釈尊のぬくもりを感じることができた。以後、数十回渡印し、通算4年以上の滞在となった。釈尊の真理を仏伝図を描くことを通して明らかにすること、それが畠中さんのライフワークとなった。
「インドというと貧しいイメージがあるのですが、イギリスの侵略以前は豊かな国だったんです。インドは昔からいろんな国から襲われますが、豊かでなければ襲われることもありません。インドにはすばらしいミニアチュール絵画や彫刻、美しいデザインと色彩の染織がありますが、それらは経済的にも精神的にも豊かでなければ生まれないですね。
われわれ日本人は、欧米に目を奪われて、アジアにはあまり目を向けてこなかった。インドの芸術家の名前を1人でも言えますか。ピカソやゴッホといえば、小学校の児童だって知っているのに」
高校入学のお祝いに油絵の道具を祖母が買ってくれた。美術部に入った。それが絵の道へ行く初めのきっかけとなった。
「ものごとというのは、きっかけだと思うんです。思いがあれば、あとはきっかけです。あんまり強い思いがありますとかえって空回りして失敗しやすい。インドに行ったのも、絵に行き詰まっていたからです。インド美術の専門の先生とご縁があったことと、祖母が亡くなってまとまったお金が入ったものですから、それを持ってインドへ逃げ出したのです」
アジアからの視点を畠中さんが強調するのは、そこに仏教の影響があるからだという。
「日本が戦争に負けたとき、セイロン(スリランカ)は賠償権を放棄しました。日本は戦争に負けて貧乏になって、これから立ち上がらなくてはならない。お釈迦様の言葉にあるように、怨みでもって怨みを返すものではない。だからわれわれは、国土が痛んで貧しくなったけれども、賠償を放棄すると。これはなかなか言えないことです。そう言えるのはセイロンが仏教国だからですね。
5世紀以降、仏教は急速に密教化していき、特に10世紀以降のイスラムの侵略により、ついに13世紀にインドから消滅します。仏像もほとんどが破壊されました。親鸞聖人の仏教というのは、非常にお釈迦様の仏教に近いのです。私がインドにこだわるのは、お釈迦様の仏教を学びたいからです。そして釈尊の生涯を描くことが私のライフワークです」
はたなかこうきょう
●日本画家
1947年、奈良県生まれ。大谷大学を卒業後、京都市立芸術大学専攻科を修了。仏伝を中心に日本画を製作するとともに、インド美術研究を続ける。第21回シエル美術賞、第1回東京セントラル美術館日本画大賞、京都府文化新人賞。「横の会」「NEXT」「目展」などの自主的なグループ展で作品を発表する。著書に『インド染織美術』『インド宮廷絵画』、画集インド巡礼『ダルマ・ヤートラ』等。