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インタビュー

 片岡鶴太郎さんに聞く

 流れのままに生きようと思った……
 さらの自分で一から始めればいい
片岡鶴太郎さん
 バンダナを巻いたマッチ(歌手・近藤真彦さん)の物真似で一躍人気者になったのは20年前。売れるためなら体を張って何でもやった。あるとき、自分のVTRを見て愕然(がくぜん)とする。肉体的にも精神的にもブクブクと太っていた。32歳。肉体と精神の贅肉(ぜいにく)を削(そ)ぎ落とすためにボクシングを始めた。プロライセンスを取得。また、性格俳優としても注目されるようになった。
40歳を迎える時、鶴太郎さんに、より大きな転機が訪れる……。
 40歳の誕生日だった。鶴太郎さんはひとりで原宿のバーのカウンターにいた。「ぼくがセコンドをしていた鬼塚勝也選手(元ジュニアバンタム級世界チャンピオン)が世界タイトルをあけ渡して九州の実家へ帰っていった。また、ずうっと出演して愛していた『海岸物語』というドラマも終末を迎える。自分の前に何もなくなっていくんですね。何とも言えないうすら悲しさというか、風が吹いただけで何か涙が出てきそうな、夕焼けのあの感じで、ふうっとうずくまって腰砕けで泣いてしまうんじゃないかという、そんな感じだったんですね。

おれは何を信じて、何をめざして生きていったらいいのか。出口のない状態でもがいていたんです。自分の中でマグマが渦巻いていて、爆発したいと出口を探しているんだけれども見つからない、そんな感じでした。

そのときに、ふと身を放り投げてみようではないか、流れに身をまかせてみようではないかと思ったんです。それは消極的な生き方のように見えますが、そうではないですね。来るものに対して正面から受けとめて、そして流れにまかせていく。そういうことでどうなんだろうか。そう生きていこうと腹に決めたとき、すうっと胸のつかえが消えていきました。

ぼくが生きているということは、生かされて生きているのですね。自分が身をまかせても何も得られないようであれば、所詮(しょせん)そんなものであろうと。腹をくくったんですね。とりあえず40歳の誕生日から1年、それを実践してみようと思ったんです」

絵を描いてみないかという誘いがあったのはそのすぐ後だった。鶴太郎さんの絵の才能を見いだした人もすごい。無心で100点を越える絵を描いた。1年後、三越新宿店アートギャラリーで初の個展を開催。1週間に数万人が訪れた。

「ぼくという存在は、カマキリや花や魚たちと同次元で生かされて生きているんですよね。人間は思いあがってはいけないと思います。今生(こんじょう)を、みんな一緒にどこかつながったものとして生きている。だからものすごくいとおしい。そんな出会いの感動を絵として描かせてもらっているんです」

鶴太郎さんは、自分のことを「無一物(むいちぶつ)」だという。

「絵が好きで、ただただ絵が描きたいという気持の前では、ぼくの40年の歩みなんてものは何もなくて、ぼくはただの無一物なんです。でも、人間というのはずっとそれなんだと思うんですよね。

誰にとっても明日という日は素人(しろうと)なんだから、さらの自分で一から始めればいい、そんなふうに思うんです」


かたおかつるたろう
◆俳優◆
1954 年、東京生まれ。高校卒業後、片岡鶴八に弟子入り。TV番組『オレたちひょうきん族』で爆発的人気を得る。映画『異人たちの夏』で日本アカデミー最優秀助演男優賞など数々の賞を受賞。現在は性格俳優としてドラマや映画で活躍。33歳でプロボクシングライセンスを取得。40歳から本格的に墨彩画を始める。大胆にして繊細な画風は多くの人を魅了している。1998年群馬県草津温泉に、2000年には神奈川県江の島に片岡鶴太郎美術館がオープンした


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