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インタビュー

 阿満利麿さんに聞く

 日本人は本当に無宗教なのか
 日の昇る空のかなたに帰ってゆく世界もある
阿満利麿さん
 生まれたときは神社に詣で、結婚式は教会、死ねばお寺の世話になる……。多くの日本人は自分のことを「無宗教」だと思っている。
宗教を「人間がその有限性に目覚めたときに活動を開始する、人間にとってもっとも基本的な営み」と考える阿満さんは、われわれは本当に「無宗教」といってすましておれるのか、と反問する。
明治以降の近代化の過程での国家神道の強制。阿満さんは、民衆の心の深くにきざまれたカミガミやホトケを救いださなければ、日本人の本当の精神性の回復はないのではないか、と指摘する。
 昨年、阿満さんは還暦を迎えた。還暦以後の人生はそれまで経験したことのバリエーションにすぎないし、それが年を取って死んでゆく人間のゆとりの根拠なのだと、阿満さんは思うようになった。

「沖縄についていろんな指導をしてくれた写真家の友人が癌(がん)の宣告を受けて、余命いくばくもないというので訪ねて行ったんです。彼は開口一番、『死ぬということは自分は怖くない』というんです。というのは、彼は沖縄の島々を回って、いろんな調査をして写真を撮る中で、沖縄の人たちの死後についての考え方とか、あるいは死者をどのように祭るのかといった一連のしきたりや行事を見ることで、いつの間にか沖縄の人たちが考えていた死後の観念が身についたというんです。

彼は沖縄で一番神聖な島といわれる久高島(くだかじま)に長く通って研究したんです。久高島の人たちは、人は死ねば太陽が昇る東の空に残る、つまりニラーハラーと呼ばれる世界に行くんだと信じているわけですね。最後に別れるとき彼は『私は東の空の太陽が輝いている所にいますからね』と言っていました。人間はこの肉体を離れたら、そういう理想的な世界に行くのだという信仰ですね。

それは沖縄だけではないですね。日本人は無宗教といってはばからないのですが、実はそうした自然宗教、身近なカミガミやホトケとともに豊かな内容をもって生きていたのです。それを天皇をもって一切の中心とした日本の近代国家のあり方は、日本人の精神生活において極度の歪(ゆが)みや変質をもたらしたのです」

阿満さんは大学で日本の文化論・思想史を教えながら、現状に満足する学生が多い中で、寝た子を起こしてよかったのかと思いつつも、彼ら自身の中から問いが生まれることを期待する。

「ゼミで学生を沖縄に連れて行くんです。沖縄の本島ではなく宮古島に。事前学習をしないでいきなり行きます。たとえ数日でもいいから自分たちであちこち歩き回ってもらうんです。

そうすると、これが同じ日本かと思うと同時に、ここも日本だと思うんですね。家が十軒しかない離島でも、居間にはテレビがあってゲーム機がある。それは日本ですね。だけど、そこで1945年の敗戦のときにたくさんの人が同じ自分たちの国の軍隊によって殺されたという話が出てくる。天皇というのはヤマトンチュウの神さんで、自分たちを守ってくれる神ではなかった。そういう話も聞かされる。食べるものも本土とはちょっと違う。土地の人の言葉というものも方言で話せば全然わからない。また、日本では神社とかお寺があっちこっちにあるけれども、そういうものが一つもない。森の中の一つの空間を、土地の人々は、きわめて神聖な場所だと思っている。

そのようなことを少しでも見聞していくと、日本とはどういう国であるのかということを感じるんですね。そこで疑問に思ったことを大事にしなさいと言うんです」


あまとしまろ
◆明治学院大学教授◆
1939年、京都市生まれ。京都大学教育学部卒業後、NHK に入局。社会教養部チーフ・ディレクターを経て、現在明治学院大学国際学部教授。日本思想史を専攻。自然宗教と創唱宗教との関係など、日本人の宗教意識について研究している。主な著書に『日本人はなぜ無宗教なのか』『中世の真実』『宗教の深層』『宗教が甦るとき』『柳宗悦』『国家主義を超える』等多数。


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