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インタビュー

 谷川俊太郎さんに聞く

 処女詩集『二十億光年の孤独』から50年
 心の底のもっと深くに君と僕を繋ぐ何かがある
谷川俊太郎さん
 『二十億光年の孤独』で、谷川さんは「あの青い空の波の音が聞えるあたりに/何かとんでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい」(「かなしみ」)と書いた。
みずみずしい感性から生み出された詩は、敗戦の傷が癒いえて自由の未来を描き始めた50年代の若者たちに新鮮な衝撃を与えた。
学校嫌いで定時制に転学して高校をやっと卒業した。十八歳から詩を書き始めて五十年の時が過ぎたが、谷川さんを見ていると孤高(ここう)の詩人ではなく、やんちゃないたずら好きの少年がそのまま年老いたような感じがする。
 客間に晩年の父徹三・母多喜子の寄り添って写っている写真が置かれている。学者の父と、その父に深い愛を貫いた母。お母さんは呆(ぼ)けと長い植物状態のあと88歳で亡くなった。谷川さんは介護を通して感じたことを『おばあちゃん』という絵本にした。

「ユーモアがあって頭のよかった母が、こっちが返事につまるようなことを言ったりするようになったものだから、その絵本では〈人はボケると宇宙人になる〉という結論で書いたんです。それは賛否両論で、老人を介護した経験のある人はみんな共感してくれたけれども、その経験のない人にはやはり宇宙人とは何事かと言われました」

「母を売りに」というショッキングな詩がある。もちろん詩人の逆説的な表現である。「背に母を負い/髪に母の息がかかり/掌に母の尻の骨を支え/母を売りに行った」。値に還元できないいのちの事実を谷川さんは見据える。

「姥捨(うばす)て伝説とか、年寄りに対する対応というのは時代によって違うわけですね。寒い気候の中で生きている先住民の人たちが、年寄りがこれでもうだめだということになれば、ほんのちょっとの食料を置いて置き去りにして移動するということを聞きました。年寄りもそれを心得ている。ぼくは感動したんです。年寄りの側の覚悟の決め方というのもすごく大事で、ぼくも覚悟としてはそういう覚悟でいたいなと思っているのです。

自分がどこで老いて死んでいくのか。その場所と方法を真剣に想像するようになりました。九州の小規模老人ホームをやっている人たちと知り合いになって行ってみると、前に見学した億ションみたいな冷たいマンション形式の老人ホームではなくて、普通のしもた屋を改造して、少ない人数でボケたお年寄りたちがすごく気楽に好き勝手に暮らしているんですね。こういうところで暮らしたいなと思いました。そしたら4畳半とっといてあげますと言われて、それをあてにしているんです」

谷川さんの活動は幅広い。脚本、絵本、作詞、ときには詩のボクシングもやる。詩の形式にもこだわらない。18歳のとき青い空に忘れてきた「おとし物」を今も探し求めているのかもしれない。

「詩というのは意識の世界の産物ではなくて、やはり意識の下の深層意識から涌(わ)いてくる言葉だと思うんです。どれだけ深く自分の心の底に降りていけるか。降りていけばいくほど、他の人との共通のもの、言葉にはなりにくいそういう世界があって、そこに自分の言葉を発する根っこをとどかせることができるかどうか。だからぼくは、詩を書くときはどういう詩を書こうかとか主題とかをあまり意識しないで、自分を空っぽにして精神を集中するようにしています。

ぼくは芸術家というより、物を作る工人、たとえば木のことをよく知っていてきれいな木箱を作るそういう職人の方に憧れます。詩を作るときには美しい木箱のように一篇の詩を存在させたい。言葉によって美というものを感じてもらいたいと思うんです」


たにかわしゅんたろう
◆落 語 家◆
1 9 31 年、東京都生まれ。1 8 歳のとき『ネロ他五篇』を『文学界』に発表。5 2 年の処女詩集『二十億光年の孤独』は三好達治に絶賛された。斬新な感覚と異才で戦後の日本詩の世界を代表する詩人となる。詩集『六十二のソネット』『コカコーラ・レッスン』『日々の地図』(読売文学賞)等の他、『マザー・グースのうた』(日本翻訳文化賞)や『スヌーピー』の翻訳、童話の作詞、シナリオ等、その執筆活動は広範囲に及んでいる。



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