「落語は、一人で何役も演じて、しかも座ったままで、舞台装置も使わないでする芸なんです。それは世界にも類がないんですね。扇子(せんす)と手拭(てぬぐ)いですべての動作を表現します。ほとんどイメージ芸なんです。喋(しゃべ)っているけれども、お客さんの頭の中に世界が作られている。落語のお笑いには、爆笑も哄笑(こうしょう)も戯笑(ぎしょう)も苦笑もニヤッと笑わせる皮肉めいた笑いもある。いろんな形の笑いが噺の(はなし)中に入っています。そこが面白い。漫才は押しの笑いですが、落語は引いて笑わすんです」落語の祖型(そけい)が固まるのは戦国末期から江戸時代にかけてだという。辻噺(つじばなし)や軽口噺(かるくちばなし)が庶民の人気を得ていく。歴史の違いによって江戸と上方では小道具も違っている。上方では扇子と手拭の他に見台(けんだい)・膝かくし・小拍子(こびょうし)を用いる。
「大阪の場合は生國魂(いくたま)神社の境内で、筵(むしろ)を敷いて通るお客さんの足を止めて軽口噺をやっていたんです。江戸の場合はいきなり小屋がけで木戸銭(きどせん)とって客を入れて落とし噺をしていた。表で木戸銭とってますからお客さんは落ち着いているわけです。大阪の場合は青天井ですから、歩いている人の足を止めなければならない。見台を小拍子でたたいてカチャカチャ音を鳴らして通る人の足を止めたんです。バナナのたたき売りと同じ要領ですね。しゃべりのテンポを上げたり、リズムを保ったり、場面転換や時代の経過とか小拍子でパンとたたくとすごく楽なんです」
落語好きの大阪の若手僧侶との合作で「真宗落語」にも取り組んでいる。「法事ンピック」「念仏道楽」など四作を創作した。
「なるべく説教臭くなる噺はやめようということでやっています。落語の祖といわれる京都の安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)という坊さんが、説教の前に退屈するからと落とし噺をしてなごませてから説教したとか。その落とし噺が面白くて評判になって、説教もいいけどその落とし噺だけ聴かせてもらえまへんかということが落語のもとですから、もともとお寺とは縁が深いんですね。高座という言葉もお寺さんからきた言葉ですし、それにお寺は非常に落語がやりやすい。ハメモノと言いまして三味線太鼓が噺の中に使われるのですが、舞台のセッティングで余間よまがちょうどいいんです。だからお寺の本堂は落語会をやるためにできているようなものでして。お坊さんはお経さんあげるとき阿弥陀さんの方を向いてますけど、ぼくらは逆にお尻を向けていますけどね。
公民館とかホールとか蕎麦そば屋さんの二階とか、いろんな所で落語をやらせてもらっていますが、生で落語を初めて聴く人がまだたくさんおられます。大きなホールもいいけど、近所の人たちがゲタ履きで膝を突き合わせて、楽しかったなと言われるような落語会をやっていきたいですね」
かつらこはるだんじ
◆落 語 家◆
本名・三島広幸。1958 年、大阪府生まれ。立命館大学を中退して、77 年、三代目桂春団治に入門。79年、五代目小春を襲名。97年、文化庁芸術祭で自作の「日本の奇祭」「失恋飯店」を中心に据えた独演会でその年の新人賞に輝く。99
年、二代目小春団治を襲名。大阪・道頓堀の中座で桂米朝、桂文枝、桂春団治、露の五郎等の豪華な顔触れで襲名披露をした。自作の「職業病」でトリをつとめ、超満員の客をわかせた。