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インタビュー

 清水真砂子さんに聞く

 「子捨て」の時代の若者に向き合う
 苦しんだり、悩んだり、自分でも自分を育てよう
清水真砂子さん
 〈子捨て〉の時代が始まっているという。長年、学生と接してきた清水先生の実感である。この人たちは愛されてきていない、まるごと無条件に肯定されたことが一度もないのではないか、と思うこともある。
だから清水先生は、入学してきた学生をまず抱きしめるようにして迎える。先生の授業を通して、若い学生たちの心が耕される。耕された大地に作物がなるように、学生たちが「私」の物語を育て始める。先生はそうした学生の一瞬の輝きを見逃さない。そして、あたたかなエールを送り続けるのである。
 入学してきた学生たちに清水先生がまず行うことは、学生たちの心をほぐすことだ。

「短大に入ってきた学生たちは、初めのうちハリネズミみたいです。学校というものに対して警戒心と敵意を丸出しにします。学校で幸福な体験をしたことがないのかもしれない。小中高の中で、先生に安心して自分を出せなかったのではないでしょうか。だから私はまず、私はあなたたちの敵ではない、あなたたちが幸福になるための手伝いをしたいと思っているのだということをいろんな形でていねいに伝えるよう努めています。

十二月の一年生のゼミで、この学校に入って、今何を感じているかと聞いたら、ある学生が『一番うれしいのは安心して勉強できること』と言いました。中学でも高校でも安心して勉強できなかったんですね。先生に悪く思われはしないか、いじめの対象になりはしないか、絶えず心配だったというんです。ここに来たら何を言っても大丈夫だということがわかった。立ち止まって考えていても待っていてくれる。友だちも耳を傾けてくれる。それで安心して勉強できるというんです」

学生たちをおおう自尊(じそん)感情の欠如。親や教師、さらには友だちの顔色ばかりをうかがって、思う存分自分を開いて生きられなかった、その屈折した思いが今若い人たちに欝積(うっせき)していると先生は指摘する。「ここ数年、私は本当に〈子捨て〉が始まっているんじゃないかと思い始めています。子捨てというのは、子育ての放棄とか世話をしていないということではないのです。それももちろん一方にはあるけれど、ある所では過剰に世話されている。だけど親の私有物としてなのです。従わなければ自分が捨てられるのではないかという恐怖心が子どもの中にあって、それを引きずったまま大学まできている。

私は学生たちが愛されてきていないと感じることがよくあります。まるごと無条件にその存在を肯定されたことが一度もないのではないか、人として一度も期待されずにきたのではないか、そう思わせられる学生の言動にしばしばでくわすのです。

もう一つ学生と話していてびっくりするのは、自分の家族だけが親子喧嘩(けんか)していると思っている人が多い。よそはあったかいホームドラマのように暮らしていると思っている。人間や家族に対するイメージが狭いし、貧しいんですね。情報だけはこんなにたくさん入る時代なのですが。

それを補(おぎな)うのに、文学は恰好(かっこう)のものだと思います。映画もまた。文学にはいろんな家族が描かれています。私たちは自分が行き詰まったら、誰かに相談するんじゃなくて、手探りでいろんな詩や物語を読んで、人間とは何かを知ろうとしました。今はすぐ相談しちゃう。しかもマニュアルを求める。もっと自分で思いきり苦しんだり悩んだり恥じ入ったり、失敗にウジウジするとか、そういうことがあったらいいのになと思います。人はそうやって自分を育ててきたと思うし、私たちには誰にも自分で自分を育てる責任があると思うのです」


しみずまさこ
◆青山学院女子短期大学教授◆
1941年、北朝鮮生まれ。静岡大学卒業。児童文学翻訳家・評論家。現在、青山学院女子短期大学教授。著書に『子どもの本の現在』『子どもの本のまなざし』『幸福の書き方』『もうひとつの幸福』『学生が輝くとき』訳書にル=グウィン『ゲド戦記』四部作、ヴォイチェホフスカ『夜が明けるまで』、マーヒー『めざめれば魔女』『ゆがめられた記憶』『ヒーローの二つの世界』など多数。


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