芹沢さんは、今の家族のあり方は<教育家族>だという。学級崩壊(ほうかい)や不登校という子どもたちの世界の地殻変動(ちかくへんどう)は、大人が当然と思っていたその教育家族が、新たな家族として再生していく大きな転機なのではないかと指摘する。
「教育家族というのは、中内敏夫さんという方の作った概念で、家庭のテーマが子どもの高学歴化だけになってしまった家族のあり方のことです。70年代の前半、日本の家族はほぼ全面的にそうなっていきました。ですから、不登校が起きると大騒ぎになります。親は困ったことが起きたといって、力ずくで行かそうとしたり、脅(おど)かしたりします。すると子どもは追い詰められて、その突破口を開こうとして暴力に訴えるのです。不登校は病気ではありません。むしろ社会が教育家族という病気にかかっているのです。
不登校問題が起こったときに、一番いいのは放っておくことなんです。不登校というのは、<いま登校ということをこのままでは引き受けられない>ということです。その現実をまず認め、受けとめてあげることが大切なんです。子どもは不登校ということだけで十分つらいのです。そのつらさをもちこたえるだけで精一杯なんです。だからそっとしておいてあげようと言いたいのです。親が認めてくれれば、子どもは家に居場所を見つけることができます。時間はかかるかもしれませんが、やがて子どもは自分の考えを自由に表現し、自分の考えに沿って行動することができるようになっていきます。それが教育家族から離れていく道です。教育家族から離れてどこへ行くのか。ただの家族になればいいのです」
家族が教育家族化していくことによって、子どもの遊びの構造も解体してしまったと、芹沢さんは指摘する。「遊びというのは三つあって、家族と遊ぶ家遊び、鬼ごっこなど外で遊ぶ群(むれ)遊び、そしてその中間にある軒(のき)遊び<一人遊び>です。三つのステップを踏んで子どもは遊びの世界を獲得(かくとく)し、成長していきます。一度獲得したら、今度は自在に使えるんですね。今は残念ながら、子どもたちが遊びの世界を独自に作っていく場面がなくなりましたね。
地域社会が解体したということは、子どもたちの遊びの構造が解体したということです。たとえば一人でボケッとしている時間も、子どもにとってはすごく充実した時間であるはずなんですね。でも、それが充実した時間であるためには、家遊びと群れ遊びの時間があるからこそなんです。習字教室、スイミングスクール、英会話と、あまりにも子どもを有意義な時間に縛(しば)りつけてしまった結果があちこちに噴ふき出しているのです。
不登校には、いやな学校からの退避(たいひ)という意味と、軒遊び<一人遊び>のくぐり直しという意味があるのではないかと思います。不登校したら放っておいてあげようよと、ぼくが言うのは、一人遊びという大切な通過点がそこにあると思うからです。遊びというのは、実はイノセンスの解体、つまり世界の引き受けのための1つの作業なんですね」
せりざわ しゅんすけ
◆社会評論家◆
1942年、東京に生まれる。65 年、上智大学経済学部卒業。文学論、家族論、状況論など幅広い分野で評論活動を展開する。著書に『現代〈子ども〉暴力論』『子どもたちはなぜ暴力に走るのか』『子どもたちの生と死』『「イエスの方舟」論』『「オウム現象」の解読』『いじめの時代の子どもたちへ』(共著)『少年犯罪論』(編著)など多数。