インドに旅する前に上田さんは沖縄の島々を巡った。
「マングローブの原生林で遊んだり、サンゴ礁や魚たちの中でのシュノーケリング。それこそ自然に身を浸(ひた)す旅でした。ある日、木陰で休んでいると、ぼくはそこから見えない海の存在を強く感じました。いつでも海はそこにある。そして僕自身もここに在るのだという感覚がおそってきたのです。何もしなくてもいいのだ、ただここにいるだけでいいのだ。その感覚は驚きでもあり、身体の中から湧(わ)き上がってきた感覚でした。
都会では朝起きてから夜眠るまで、ぼくたちは人工的に作られたものばかり見続けます。天井、新聞、テレビ、歯ブラシ、駅、電車、コンピューター……。それらはある意図のために人工的に作られたものです。街路樹や公園の木陰も自然でありながら、すでにある役割を持って存在しています。しかし、沖縄で見た自然は、人間の意図と配慮を越えて存在していたのです。自然は何かのためにあるのではない。ただ在るだけなのです。そういう〈ただ在ればいい〉という感覚は、政治運動や受験勉強で感じられなかったものです」
二十代の終わりの二年半、上田さんはスリランカに赴(おもむ)き、農村で行われていた伝統医療の「悪魔祓(ばら)い」についてフィールドを行った。笑い合い、踊り合って、最後は悪魔とも和解していく土着の仏教に懐(ふところ)の深さを見る。〈癒(いや)し〉の原初的な姿がそこにあった。医療や宗教の分野を越えて、〈癒(いや)し〉が時代を拓(ひら)くキーワードになると予感。幅広い活動を展開する。
その上田さんから見ると、学生たちの元気のなさがどうも気にかかる。意見を求めても反応がなく、質問もない。人間とはそもそも体臭や癖などのノイズに満ちた色つきの存在であるのに、脱色化されて「透明な存在」になっているのではないか、と。
「自分が何もできないと思わされているようなところがあるんですね。小さい時から塾へ行って、小テストを繰り返されて、おれはこの程度だと思ってしまう。また、人に好かれたい、嫌われたくないという感覚を過剰(かじょう)に植え込まれて、自分がやりたいことより、他の人から期待されていることを優先してしまう。自分を出すと、排除されいじめられてしまうからです。はじめから自己規制しているから、自分で自分を抑圧していることに気がつかないのです。
それをぼくは〈金属疲労的な無力感〉と言っているのです。自分の本当にやりたいことをやろうとすれば、世間とかいろんな壁にぶち当たる。けれども、最初から自己規制しているから挫折がないわけですね。〈癒し〉ということを考えるときに、まず病んでいるということに気づくことが大切です。
〈癒し〉は、単に自然や他者と一体化することではありません。本当の自分を回復することです。優越感や自己肯定ではなく、文字通り自分に信をおくという自信です。その信において、初めていのちは共鳴し合い、いのちのつながりを実感できるのです」
うえだのりゆき
◆文化人類学者◆
1958年、東京生まれ。東京大学大学院文化人類学博士課程修了。スリランカでの宗教、医療人類学的研究の他、「癒し」の視点から現代社会の問題にも積極的に発言。愛媛大学助教授を経て、96年より東京工業大学大学院社会理工学研究科助教授。著書に『覚醒のネットワーク』『宗教クライシス』『癒しの時代をひらく』『日本型システムの終焉』などがある。