
10月11日、福岡市筑前町の中学校で、中学2年の男子生徒A君(13歳)がいじめを苦に自殺した。
事件に触れるまえに、いじめについての基本認識を書いておきたい。いじめは暴力のかたちをとった集団の病である。とりわけ教育が関与する学校においては、いじめはいつでも起こりうる、そう考えておく必要がある。その上で、いじめを次のように定義できる。複数の多数者が特定の一人を標的に、反復継続して心理的、身体的暴力を行使すること。
さてA君に対する教室内のいじめは1年生のときにはじまった。きっかけは担任(47歳の男性)が作った。自室でインターネットのアダルトサイトを見ているA君の姿に困惑した両親が、担任に相談した。ところが担任はA君のプライバシーをそのままクラスでおもしろおかしく暴露するという挙に出たのである。
担任は生徒へのからかいやあてこすりやあざけりを得意とし、生徒のあいだで、面白い教師という人気を得ていた。だとすれば、個人情報の暴露も彼の得意技であったということになろう。その日を境にクラスメートはA君を性的なニュアンスをこめたあだ名で呼ぶようになった。間もなく特定の7人によるいじめが生じた。このような推移は、意図はどうあれ、担任がいじめを誘発する教育をしていたことを伝えている。
担任のA君への感情には、軽口のレベルを超えた悪意が含まれていた。たとえばA君が級友の落とした文具を拾ってあげるのを目撃すると「偽善者にもなれない偽善者」と嘲笑した。そればかりか陰に陽に、A君を侮辱し続けたのである。このような担任の態度に、7人は、A君を標的にしてもかまわないのだという許しを得たと思った、と述べている。「先生がやっているからいいと思った」、そう彼らは自らを自己正当化したのである。
7人は「死ね」「いつ死ぬと?」「うざい」「消えろ」といった言葉を繰り返し浴びせるようになっていった。またA君をトイレで囲み、下半身を露出するよう迫り、ズボンをひき下ろそうとしたのだった。これらは彼ら7人の暴力の一部分でしかない。
居場所を奪われ、自尊感情をずたずたにされたA君は耐え切れずに、死を選んだ。いじめは教育の結果であった、私にはそのようにしか思えなかった。