メルボルン郊外に暮らすドンとアンジェラは、もう親交20年になる。敬虔なクリスチャンで、教区の活動をボランティアで支えてきた。現役で働いていた頃は、夫のドンが大学教員として受けとる毎月の給与の10パーセントを教会に寄付しつづけ、それをごく当然のことと考えている様子に、私たち夫婦は自分たちの身の振り返りを余儀なくされてきたものである。こう書くと堅苦しい夫婦を想像される方もいようが、どうして、どうして、このふたりのユーモアのセンスは抜群で、それに夫のユーモアが加わり、私たちは一緒にいると、いつも笑ってばかりいる。
さて、ふたりが2度目か3度目、来日した時のこと、何かの折にアンジェラが言った。
「おかしいわね、私たちって、いい親になろうと努力するあまり、いい親でいる時間をなくしてしまうことがある。」
はっとした。ある、ある、これはある!親だけじゃない。教師だって同じだ。いい教師になろうと努力するあまり、いい教師でいることができなくなってしまうことはしょっちゅうある。それは現に今、全国津々浦々で起こっていることではないか。学校の先生たちは研修に次ぐ研修、書類作成に次ぐ書類作成で、まともに子どもと向かい合う時間、ゆっくりと笑顔をかわし、ことばをかわす時間をなくしている。今、いい先生でいる時間、いい先生でいる心身のゆとりを確保するためには相当なレジスタンス精神が求められる。
親のことに話を戻そう。世にあふれる情報は人々に、いい親であれ、と要求する。親たちはそこでさらに情報を求め、マニュアルを求め、さまざまな研修会、講演会に出席しようとする。こうして人々からは、子どもとゆっくり日の光を浴び、風を感じ、たわむれ、頬ずりをする、そんな、いい親でいる時間が確実に奪われていく。忙しくしているひまなど、本当はないのではないか。私はこの頃いっそう8大真面目に、こんなことを考え始めている。