この春社会人となった卒業生から手紙が来た。お盆に親戚があつまるというので彼女も祖父母の家に行き、認知症の祖父とひとときを過ごしてきたという。この祖父はふだんは祖母と離れてグループホームに暮らすのだけれど、この日は日中だけ自宅に帰ってきたとのこと。孫である卒業生にとっては半年ぶりの再会で、目に見えての祖父の衰弱ぶりに、会った瞬間は衝撃を受けたらしかった。
が、彼女の手紙はそんなところで終わってはいなかった。本人の了解を得て、一部を紹介させてもらおうと思う。
「祖父の目は現世を見つめていたり、どこか遠くを見つめていたり・・・・・その繰り返しでした。けれど、祖父の隣に座っていると、時を越えてなんだか私も祖父の時間を過ごせたような、そんな気持ちになりました。今まで痴呆というものを、切ないとか、悲しいとか、マイナスな気持ちでしか受け止めてこなかったのですが、昨日は少し幸せというか、豊かな印象を受けました。周りの人は祖父のことを悲観的に思っているけれど、もしかしたら祖父にとって今の時間は必要な時間なのかもしれない。ゆっくりと、ぷかぷか浮きながら、なんとも言えぬ広い場所にいるのかもしれないと思うのです。ふと幼少時の話をしたり、仕事の話をしたり、祖母に怒ってみたり・・・・・、時を自由に動いているのかもしれません。そして気が向いた時だけ現在に戻ってくる。そんな不思議な時間を過ごしているのかな、と思いました―中略―そう思ったら、何だか視野が拡がって、嬉しくなって・・・・・」
帰宅するなり、私に手紙を書いてくれたのだった。ああ、この手紙にこれ以上何を付け足す必要があろう。刺客ということばが飛び交った殺伐としたこの夏、こんなおじいさんと孫娘が社会の一隅にちゃんといてくれたこと。これ以上の慰めと歓びがあるだろうか。