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人輝くとき

 父親の一言
児童文学評論家・翻訳家  清水真砂子 サンガ第75号 <2005年5月>

 親しい友人に耳の聞こえない夫婦がいる。子どもはふたり。長女はこの4月から高校生、次女も小学校に入った。長女は聞こえるが、次女は難聴。元気な家族で、海外にも度々でかけていく。私たち夫婦は手話ができないが、会えば活発な議論を2時間でも3時間でも楽しむ。長い付き合いで、お互いどう話したらいいかを心得ていて、いよいよ困れば筆談にも頼る。手話ができない分、彼らに負担が多くかかっているのだが、この頃では長女が通訳を買って出てくれるので大いに助かっている。

 さて、これは長女が4歳の頃のこと。ある時、自分の言いたいことが父親に伝わらなくて、地団駄踏んでわめきだすと、それまで必死になって幼い娘と向かいあっていた父親がテーブルをたたいて、わめき返した。

 「パパだって聞きたいんだ! だけど、聞こえないんだよ!」

傍らでこのやりとりを聞いていた母親の話によると、この父親の一言で娘は黙り、以後二度とこういうわがままはしなくなったという。

 後日、この話を聞いた私は「やったァ」と思わずひとり拍手した。大事な関門のひとつをこの親子はみごと切り抜けた、と思った。これでこの親子は生きてゆける。うれしかった。このような場合、下手をすると、親は子どもに謝ってしまう。「すまんな、おまえの言うことが聞きとれなくて」と。

 親に謝られた子どもはどうすればいいのだろう。自分のせいでなったのでもないことで親は――誰も――謝ってはいけない。親が卑屈になれば、その反作用を受けて、子は傲慢になるしかない。そうやって関係のありようを低めていく親子の何と多いことか。たとえ親であろうと、子の人生をかわりに生きてやることはできない。それぞれの人生を人は引き受けて生きていくしかない。それを悲惨だと誰が言えよう。今、上の娘は学校の演劇部員として活躍し、下の娘もまた好奇心いっぱい、まぶしいほどの幼年時代を生きている。


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