|
彼岸といいますと、季節を表す言葉として、あるいは墓参りのときという意味で使われる場合が多いと思います。
もともと彼岸という言葉は、仏教行事の彼岸会が庶民化された仏教語です。その彼岸会とは春分・秋分をはさんだ七日間に仏道を修する行事をいいます。仏教徒にとっては、大切な学びの時になるわけです。
彼岸は、お釈迦様当時の言葉でパーラミタ(波羅蜜多)といい、それを中国では「到彼岸」と訳されました。日本語では「彼岸に到る」という意味です。
彼岸(彼の岸)はあくまでも譬えで、阿弥陀仏の世界・浄土を意味します。また、彼岸に対し此岸(此の岸)があります。此岸は迷いの世界、人間の煩悩の世界をいいます。つまり到彼岸とは、人間の迷いの世界から阿弥陀仏の覚りの世界に到るという意味があるわけです。
仏教は自力を主眼とする教えと他力を主眼とする教えに大別され、到彼岸の意味も異なります。自力を主眼とする仏教は、自らの力や努力をもって成仏を願い、仏の世界に到ろうというものです。一方の他力を主眼とする仏教は、阿弥陀如来のはたらきに乗じて浄土に往生すると説きます。
浄土真宗は後者で、自らの力や努力で彼岸に到ろうというのではなく、自らの力や努力をあてにするはからいこそ、深い迷いであることを知らされ、我が身を突き動かすもっと大きなはたらきに目覚めさせていただく。それを彼岸に到ると説かれるわけです。
ですから、浄土真宗の彼岸会は修行の場・時ではありません。聞法(仏法聴聞)をとおして、彼岸のこころを知らせていただいていく場・時なのです。
なお、彼岸にはお墓参りがなされますが、右のように考えますと、墓参りは故人の成仏を祈る追善供養でないことが知らされます。阿弥陀仏の恩徳を讃え、私を仏様の世界に導いてくださった亡き人々(=諸仏)を讃える行為として墓参りが行われるのです。
|