人が亡くなってからの49日間を「中陰(ちゅういん)」といいます。この期間は、特に身近な人の死が、悲しみとともにいよいよ実感されるときでもありましょう。
ところで、一般的な中陰の考え方を申しますと、中陰とは、人が亡くなってから新たに生まれ変わるまでの中間的なあり方をさしていわれています。この中陰の間に、残された者が、7日ごとに故人の冥福を祈り追善供養をなせば、死者はその功徳を受けて必ず善処生まれるという考え方です。
このような来世を想定し追善供養を勧める考え方が、実は真実の仏教とは無縁の、人の心を惑わすさまざまな迷信・俗信を生んできました。すでにお話ししました、死装束といわれる死者の旅姿や魔よけと称する守り刀を棺の上にのせるなどが、それに当たりましょう(第12回・16回参照)。
このような背景には、迷わずに成仏してほしいという亡き人への思いがあるからでしょう。このおもいがいかに切なる願いであっても、我執に基づくものである限り、ますます人間を迷いの世界に導くだけであります。亡き人への供養と申しても、思い上がりというほかありません。
そういう人間自身のもつ深い心の闇を見据えて、親鸞聖人は、「現世(げんしょう)に正定聚(しょうじょうじゅ)のくらいに住する」という教えを説かれました。「人間の知恵では計り知れない仏さまの大いなるいのちに目覚めることができました。そのいのちを真の依(よ)り所として生きていきます。ですから、来世の幸せを願う必要もありませんし、過去を悔やむ必要もなくなりました」という、亡き人も残された者も共に救われる教えです。
私たちにとって、まず大切なことは、「いまある人生をどう生きるのですか」「真の依り所をもって生きていますか」という仏さまからの、亡き人からの問いかけに静かに耳を傾けることです。生まれた意味や生きる喜びに出あうとき、亡き人に手が合うのです。
浄土真宗の中陰(49日間)は、身近な人の死の事実をとおして、人間としても生き方・あり方を仏さまから学ぶ大切な期間なのです。