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3分間法話

 「他人に迷惑をかけない」という身勝手
清谷 真澄 第72回 <2004年11月>


クギを踏んで痛む足が
アリを潰して平気だ
身勝手な被害者

イメージ 私には中学三年になる娘がいます。最近、化粧に興味を持つようになり、特に香水を集めるのが好きなようです。ある日、家に帰ると家中に香水の臭いが充満していたので、「クサイッ! 周りの迷惑だから香水は没収だ」と叱ったところ、「どうしてダメなの、いい香りでしょ。絶対、迷惑なんてかけてないよ。それよりもお父さんのおやじ臭の方が、よっぽど周りの迷惑じゃないの?」「……。」

 一般に親のセリフとしてよく聞く言葉ですが「何をしてもいいから、人に迷惑だけはかけない子になってほしい」と、そう願う人が多いように思います。子どもだけではありません。私自身もできるだけ他人には迷惑をかけないよう心がけているつもりです。けれども、本当に「人」は他人に迷惑をかけずに生きていけるものなのでしょうか。

 先輩から教えていただいた言葉があります。「クギを踏んで痛む足が、アリを潰して平気だ。身勝手な被害者」。私は初めてこの言葉を聞いた時、「アリを踏まずになんて……、そんなことをいちいち気にしてたら、生きていけない。それは仕方がないことだ」と思いました。けれども、その「仕方がない」「しょうがない」という思いこそが、自分を正当化し、私を中心にしてしか物事を受け止めていない私の身勝手さなのです。

 「迷惑」ということも同じです。自分が被る迷惑には敏感なのに、与える迷惑には実に鈍感です。逆に、他人に迷惑をかけないことに気をつかい過ぎて、他者との関係を閉ざし、「私は誰にも迷惑をかけてない!」と言いつつ、気が付いてみれば ”ひとりぼっち”ということもあるのではないでしょうか。「人」が「生きる」ということは、たくさんのつながりの中に生きていて、人(動植物や自然にも)に迷惑をかけながら(傷つけながら)生きているのだということ、そういう身の事実を見つめなおすことが大切だと教えていただきました。

 『涅槃経』というお経に、「無慚愧は名づけて『人』とせず。名づけて『畜生』とす。慚愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。慚愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く」とあります。自分の身の事実を明らかに受け止め、そこに羞じる(慚愧)という心が生じたとき、はじめて人と人との”つながり”を生きる人間になるのだということでしょう。
さてさて、そんなことを娘にやさしく諭すように話をした私でしたが、「じゃあ、今のままで、いいんじゃん。香水返してよ!」の言葉にふたたび沈黙(涙)の時を過ごすことになりました。


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