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3分間法話

 人間の姿
伊藤 明麿 第70回 <2004年7月>

人間は感情で
生きている。

イメージ 私は三十数年前、京都の大谷専修学院の信國淳先生にご縁をいただきました。先生は時間ができると私を先生の部屋に呼んでくださり、物静かにいろいろとお話しくださいました。その中でもこのお言葉が印象深く今でも残っています。

 私たち人間は自分自身の思うとおりになると気分よく、少しでも合わないと気分をこわし、腹をたてます。それが感情というもので、実に複雑で難しい。そして私たち人間は自分自身のことを思うときも、他人のことを思うときも、自己中心的な思いの分別から一歩も抜け出ることができないのです。

 人間は感情の動物と言われていますが、この感情は人間一人ひとり無論高低差があり異なります。まわりの生活環境によって、それぞれ大なり小なり感情の虫、善玉悪玉を抱えて生活しています。人と人が意気投合し何事もなく調子良くお付き合いしているときはいいのですが、何かの弾みや意見の食い違いで衝突すれば大変なことになります。

 先日も駅のホームで人だかりがありました。なんだろうと近づいてみると、肩が触れたといって喧々囂々。僧衣姿の私が間に入ると、ブチブチ言って解散したのです。

 こんな事件もありました。ホームで半袖姿の学生に七十歳ぐらいの男性が寒くないかいと声をかけたら、その学生は腹をたて、男性をホームから突き落としてしまったのです。男性は意識不明の重体とのこと。

 それぞれ何が原因かを考えてみると、意外と小さなことで腹をたてるのが、我々人間のようです。人間の感情の虫は本当に困ったもので、時と場合によってはとてつもなく大きくなり、殺人事件に発展する場合もあるのです。

 感情の虫に振り回された後に、たとえ反省したとしても、その時はすでに遅かったということが多いようです。後悔先に立たずです。

 人間は感情で家庭、社会生活を営んでいます。しかし、私たちが拠りどころとしている感情とは果たして確かなものなのでしょうか。

 聞法の場に身を据えるということは、仏法を聞くことによって私の歩みを確かめ、軌道修正をしながら生きることです。それは「かけがえの無い人生、悔いの無い人生」を生きたいと願う私たちには、外すことのできない確かなものとの出遇いなのです。

 しかし、このような願いを抱きながらも、なかなか仏の教えを聞くことはできません。それが私たち人間の姿なのかもしれません。そんな私たちを仏の大悲のお心は常に呼びかけ続け、促してくださるのです。


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