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3分間法話

 魂の叫び
宗 正元 第67回 <2004年1月>
悪をもおそるベからず

弥陀の本願を
さまたぐるほどの
悪なきがゆえに…


『歎異抄』

イメージ 私の生き方をいつも照らし出してくる言葉があります。それが「悪をもおそるべからず……」という言葉です。

 親鸞聖人が歩いていかれた念仏の道に出会うまでは、自分の生き方そのものに、疑問をもつということはありませんでした。

 私は、いつも生甲斐を求めていました。自分の能力を活かしていけるような会社に就職したりしました。さらに、人権を守らねばならない、戦争や差別をなくさねばならないと、社会運動や市民運動に参加したりしました。

 こうして壮年期をむかえた頃、思いがけなく、自分の生き方そのものに疑問を感じさせられるような人に出会ったんです。

 その人とは、親鸞聖人が歩いていかれた念仏の道に、まこと≠感じ、その道を歩き続けている人です。
そういう人に出会う以前にも、「悪をもおそるべからず……」と語る『歎異抄』を読んだことはあるんです。しかし、その言葉に驚いたり感動したりしたことはありませんでした。

 なにか魅力みたいなものは感じましたが、やはり、読みすごしていました。

 この言葉にまこと≠ェ感じられなかったわけです。

 念仏の道を歩み続けていく人に出会って気がついたことは、ひとつの言葉になっている

  まこと≠ヘ、まさにその言葉に
  まこと≠感じ、自分の考え
  などをひるがえして生きている人にふれないと、まこと≠ニしては感じられないものなんだということです。

そして、そのようにして感じるまこと≠ノふれた感動は、感銘をうけたとか、感激したというようなことを越えて、自分の生き方の足もとがひっくりかえされるような感動なんです。

「悪をもおそるべからず……」とは、親鸞という人の思想ではないのでしょう。

 むしろ、親鸞という人の、さらには念仏の道を歩く人びとの胸を突き破って、呼びおこされてきたまこと≠フ魂の叫びなんでしょう。
それは、悪を許すという魂でもない。また悪を排除するという魂でもない。
むしろ、悪をさけることのできない人の身に同感し、その身を痛悲して、その身から新しく人生を掘りおこそうと決意した魂の、命をかけた叫びなんでしょう。

(東京都・行人舎)


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