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3分間法話

 存在の大地に帰る
おばたぶんしょう
尾畑文正
第61回 <2003年1月>
 

(われ)(まさ)に世において、
無上尊(むじょうそん)となるべし

『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)


イメージ 大地から引き抜かれた草は太陽、雨、雪、風にさらされて、枯れて朽ちるしかありません。人も同じです。生きることの根拠を見失った人は、実に不安定で、精気のない顔をして、日々空しさのなかで生きるしかないのでしょう。それでは草にとっての大地にあたる、人にとっての生きる根拠とは何なのでしょうか。

 極めて個人的なことなのですが、最近、本当に信頼していた人から、思ってもみない仕打ちを受けて、自分の問題を棚に上げて言えば、人が信じられなくなり、空しくなってしまいました。その場合、私にとっては、その友人を信頼することが生きる根拠としてあったのでしょう。しかし、それはあっけない形で壊れていきました。

 諸行無常という言葉が、的確に、こころにくい込んでくるほどに、私の作りあげた思い計らいは、見事に私を支える根拠にはならなかった。この経験をとおして私はあらためて、一体全体、いつまでこんなにまでして、人間の世に、吹けば飛ぶような夢と期待を抱いて生きているのかと問わないではおれませんでした。

 私の場合は友情ですが、ある場合には、それは国家であり、企業であり、国籍であり、民族であり、家庭でしょう。ある場合には社会的な地位、名誉、財産、学歴、家柄などいくらでも考えられます。しかし、それらのいづれも、永遠に人を人たらしめるものにはならないでしょう。それはある瞬間だけです。

 それどころか、原発に例を取れば、原発に頼る生き方が原発に殺される現実を作り出す現在、人が人として生きる本当の根拠とは何なのか。それが問われます。どこかで私たちはボタンの掛け間違いをしてきたのです。

 人間の世にある私たちの目をくらます虚飾に迷わされて、人が人として生きて在ることの不思議に感動することもなく、寂しさと渇いたこころを埋めるために、自分自身を見つめることもなく、果てしなく外物・他人に依りかかって、立とう伸びようとしてきたのです。いま一度、自分の人生全体を問い返して、鳥は鳥として、花は花として、その業を果たし続けていく姿に学び、人も人として、天上天下に我独りにして尊き自分に目覚めることが問われているのです。

 宝石で身を飾る必要もない、国家におもねる必要もない、癒しあうだけの仲間も必要でない、あなたはあなたになり、私は私になる道を歩むことです。それだけが、私たちが見失ってきた生きる根拠、存在の大地に帰るただ一つの道です。

(同朋大学教授/三重県・泉稱寺住職)


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