「今」と題された、仏教詩人・坂村真民さんの詩です。この詩を初めて目にしたとき、「いま、ここにいる自分」「いま、ここにある現実」をどう捉(とら)え、どう考えているのか、そんな問いを真民さんから与えられたような思いがしました。
楽しいとき、嬉しいときの「いま、ここにいる自分」「いま、ここにある現実」は手放しで認めます。しかし、悲しい出来事に出会ったり、つらい思いをしなければならないときなどは、どうでしょうか。「こんなはずではない」、「本当の自分は違うのだ」とか、いろいろな理由を持ってきては現実を受け入れることを拒んでしまいます。
過去を愚痴(ぐち)ったり、呪ったりして、いまの不幸の原因探しに明け暮れてしまいます。あるいは過去の栄光を懐(なつ)かしんだり、未来に希望を持つことで、いまの不幸から解放されようと努力します。しかし、そうしたことを繰り返しても根本的な解決にはつながらないことも、うすうすは感づいているのです。
わたしの好きな詩人の一人、むのたけじさんの詩も紹介します。
きのうは去った
あすはまだ来ない
きょうというこの日に
全力を注ぎこもう
どんなにつまらなく思われ
る一日であろうと
どんなにつらい一日であろうと
きょうがなければあすはない
真民さんと同じように、いまの大切さを的確に表わしている詩です。
いまに満足しない者は、過去を愚痴るか、懐かしむか、未来に希望を持つしかないのかもしれません。しかし、過去は過ぎ去ったものです。未来は不確実なものです。いまに満足し、ここに立って生きることが、生き生きとした人生を歩んで行くことにつながることに目を向けなければならないのでしょう。頭では分かっているのですが、現実の生活の中ではどうしても愚痴と希望を使い分けて、今の苦しみ、悲しみからの解放を試みます。こうした繰り返しを続けていくのでしょう。
真民さん、むのさんの詩を読む度に、「いま」に満足することなく、過去にしがみつき、未来に希望を持って、あてもなく歩んでいる私に「空(むな)しさに気がつけ、目を覚ませ」と、語りかけていてくれているようです。
「大切なのは一呼吸一呼吸の今である」「きょうというこの日に、全力を注ぎこもう」という言葉を今一度心の中で噛かみ締めたいものです。
(台東区・源隆寺住職)