東京を中心とした首都圏で新寺建立(こんりゅう)を願いとして開教活動をしている「首都圏大谷派開教者会」のメンバーと本廟奉仕(ほんびょうほうし)を一緒にしたことがありました。寺はもはや風景でしかないといわれる今の時代に、真宗大谷派のカンバンを掲げた新寺を、首都圏に建立したいという人たちです。座談会では各人各様の動機や思い、そしてそれぞれの開教現場での困難について直接話を聞くことができました。
自坊(じぼう)の後継ぎ、つまり「寺檀(じだん)関係」を所与(しょよ)のものとしてきた私にとって新寺建立や開教ということは考える必要のないことでした。親鸞に出会った人たちがどのような生き方を模索しているのか、真宗の求道的(きゅうどうてき)人間の原形を問うものだったので新鮮な感動をうけました。
一般に既存寺院の私たち住職は、宗門という自己完結した小さな社会に慣れると「七宝の獄」となった安住(あんじゅう)の門から出ようとしません。宗門の外の状況にはコミットしなくなります。たとえば昨年の官民挙げて戦争に協力するという第145「世紀末」国会の暴挙に対し、宗門では一部に反応があったという程度のものでした。「安全な距離」に身を置き、この世とこの身についての講釈が教化(きょうか)活動と勘違いしているのです。
19年前、靖国裁判の原告団長になるかどうか逡巡(しゅんじゅん)したとき、「君は何を恐れているのかね」と、ある先生の言葉と共に私を促す背後の声が、ここに掲げた正像末和讃(しょうぞうまつわさん)の言葉でした。
私はあの時なぜためらったのか。「仏智不思議」を疑っていたからです。「仏智の不思議」の感動がすでに記憶になっていたのです。
私の思いとは無関係にはたらく促しに、身をゆだねることができないのは、共に歩まんという仏の誓いよりも「自力諸善」の方を信頼しているからでしょう。私に変革を促す仏に出あえれば、阿難尊者(あなんそんじゃ)「座より起(た)ち」とあるように、私の思いと関係なく、住職という「座」を放棄してでも踏み出すものです。それが真宗における「救い」の実感というものでしょう。そこで初めてわが身が「七宝の獄」にいたことを自覚するのでしょう。牢獄に生まれ牢獄に死ぬ者に牢獄は存在しません。
言葉が通じない対話不能のこの「七宝の獄」を去り、世の痴闇冥(ちあんみょう)を除かんとするのは、凡夫(ぼんぶ)の器に顕われた仏のはたらき、本願力(ほんがんりき)によるものであって、私の能力や努力の延長線上に成立するものではないというのが、浄土を真宗とするものの運動のスタイルです。世の常識を超えた言葉<はたらき>は、たとえそれが事実であっても七宝の獄に住む常識人の耳には入らないと先人は述べています。この課題を突破した凡夫の中の凡夫の誕生こそがいまの時代に求められているのでしょう。
(愛媛県・専念寺住職)