現代の日本は、一見豊かな時代であるかのように見えますが、一人ひとりの心の中には各世代それぞれに、さまざまな不安感と孤独感がひたひたと押し寄せている時代でもあります。今回は特に高齢者の方々の不安感と孤独感について考えてみます。
一昔前に比べると、医療や福祉の面で現代の高齢者は実に恵まれていると言えます。しかし体は元気でも痴呆(ちほう)になれば家族に迷惑をかける。もはや親孝行が価値をもつ時代でもなくなり、若い人々には避けられる。伴侶(はんりょ)を失えば、誰にも頼れないという不安と孤独が待ちかまえています。さらに高齢者を不安と孤独に駆り立てている根本的な原因は、死と死後についての信念や信仰がなくなっているという点です。科学への絶対的な信頼の時代を生きてきた人々には、死ねばすべてが終わりとしか考えられません。死はただ恐ろしいだけのものになってしまいました。
しかし「死を見つめれば生が輝く。生きるならば死を鏡とせよ」と作家山本周五郎氏が言ったように、真正面から死を見つめ、死についての正しい信念が形成されれば、その不安感・孤独感は逆に強靭(きょうじん)な生きる力に転換され、生は輝きを増すことになるはずです。ちなみにフランスの作家マルローは「僕が死に方を考えるのは、死ぬためじゃない、生きるためなのだ」と言っています。
親鸞聖人は、「真実信心うるひとはすなわち定聚(じょうじゅ)のかずにいる不退(ふたい)のくらいにいりぬれば……」と述べられました。真実の信心をいただいた人は、まさしく浄土に生まれる身と定められたのだから、何がおころうと動揺などしないのだと言われたのです。このような信仰の境地においては死に対する不安感も孤独感も消え去っていくのです。これが聖人の第一の教えです。
しかしこのような境地に住み続けることは、普通の人間には至難のわざです。聖人ご自身も正直に告白されました。「流転(るてん)せる苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく、いまだうまれざる安養(あんにょう)の浄土はこいしからずそうろう」と。もはや死などに心を迷わす必要がないのに、この世を離れたくないと思ってしまうとおっしゃるのです。救われているのに喜べない煩悩(ぼんのう)の人の声を代弁されているのです。そして「なごりおしくおもえども、娑婆(しゃば)の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」とおっしゃってくださいます。この世の縁がつき、力なくして命が終わる時、本当の浄土に仏さまが連れていってくださるから安心しなさいと言われるのです。これが聖人の第二の教えです。われわれの恐れる死を、こうして二つの教えを通してくれぐれも恐れないようにと案じてくださっているのです。
このことを知ればもはや死を恐れることはありません。死への信念が形成され、生は輝きを増し、喜んで生を燃焼させることができるようになります。ここに現代の高齢化問題を解く鍵の一つがある、と私は思います。
(東京工芸大学教授/愛知県・光専寺住職)