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3分間法話
 なむあみだぶつを称(とな)えれば
ふじわらまさうみ
藤原正洋
43回 <2000年1月>
 

み仏をよぶわが声は
み仏のわれをよびます
み声なりけり


そよ風わたる朝の窓
働く手のひら合わせつつ
南無阿弥陀仏を称(とな)えれば
親鸞さまはにこやかに
私の隣りにいらっしゃる
 というお歌があります。

 何と親しみ深い歌詞ではありませんか。

 私たちがお念仏を称えると、その一人一人の隣りで、親鸞さまが、ほほえんでおられるのだ、と。

 私たちが、遠い存在にしている親鸞さまと、一声のお念仏の中で、お会いしているのだ、と。

 一昨日私は、甲斐和里子さんの歌を想い出していました。

み仏(ほとけ)のみ名なを称えるわが声は
わが声ながら尊かりけり
 人それぞれに、声の質は違いますが、み仏の呼び声が、わが声のまま、み仏の声であったんだ、と。

 『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』の中に、「これより西方に、十万億の仏土(ぶつど)を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰(い)う。その土(ど)に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまう」とあります。そのご「説法」が、お念仏ではありませんか。

 いかにも遠い世界にいらっしゃるかのような阿弥陀仏が、私の心に宿り、わが声となって現れて下さるというのであります。

 『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』には、世尊(せそん)が、韋提希夫人(いだいけぶにん)に「汝(なんじ)いま知れりやいなや、阿弥陀仏、此(ここ)を去りたまうこと遠からず」と告げておられます。「此」とは、どこでしょうか。お念仏の声が聞こえるところでありましょう。

 もう一首、甲斐和里子さんの歌を引用させて頂きます。

み仏をよぶわが声は
み仏のわれをよびます
み声なりけり

 昨秋、自坊(じぼう)の報恩講(ほうおんこう)で、「正信偈(しょうしんげ)」を拝誦(じゅ)していた時、「摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)」という一句が、私の心を捕えました。「摂取の心光(しんこう)、常に照護(しょうご)したまう」。生きとし生けるものを、摂(おさ)め取りたい、という仏の願心(がんしん)の光が、いつも照らし、護っていて下さっているのだ、と。

 仏のおはたらきを探(さが)し、出会いの時を私は空想していたのでした。

 ところが、ここにいま、その願心の光(はたらき)を蒙(こうむ)っていたことが明確になったのです。私の問いへの応答が、この一句だったのです。

その後、次の一句がまた私に大きな頷(うなづ)きを与えて下さいました。「至安養界証妙果(しあんにょうかいしょうみょうか)」(安養界(あんにょうかい)に至りて妙果(みょうか)を証せしむと、いえり)。

 「真宗宗歌」に、「海の内外(うちと)のへだてなくみ親の徳の尊さをわがはらからに伝えつつみ国の旅を共にせん」とあります。一声一声のお念仏に呼び掛けられながら、大いなる精神の王国への旅を歩ませて頂くことであります。

(石川県・浄秀寺住職)

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