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3分間法話
 思いのままにならぬ娑婆に生きて
いとうたかお
伊東隆雄
41回 <1999年9月>
 

ひとのいのちは、
いずるいき、いるいきをまたずして
おわることなれば
[歎異抄(たんにしょう)]


 あるお婆ちゃんが私に会うたびに「ご坊さん、わしゃ早くお爺さんの処に逝きたいからお迎えを」と言うのです。そこで、何故そんなに急ぐのか聞きましたところ、「わしゃ寂しい」と言うんです。お婆さんは息子夫婦や孫と一緒に住んでいるのに寂しいなんてことはないだろうにと言うと、「息子夫婦は仕事が忙しく家にいないし、孫はいるときはあるが声をかけてもくれん。わしゃ足が不自由で外に出掛けて行くこともできない。いつも一人、留守番なので生きていてもつまらん」ということでした。

「心塞意閉(しんそくいへい)」(心ふさがり心閉じて=『無量寿経』)、対話のない家族は現代の社会では以外と多いようです。

 そこで私は冗談に、お婆さん、そんなにお爺さんの処にいきたいなら「明日の迎えではどうか」と言いますと、「ご坊さん、急に明日なんていわれても困る。準備が出来ておらん」と言う。「お婆さん、今のままでいいだろう。どうしてもというなら、準備期間をおいて七日後ではどうか」と言いますと「それでも困る」。「じゃ一カ月後、それとも一年後はどうか」と言うと「当分結構じゃ」ということでした。

 誰がお婆さんを笑えるでしょうか。お婆さんのいう準備とは覚悟のことでしょう。この世は「老少不定(ろうしょうふじょう)」なのです。浅原才市翁(おう)は「今が臨終」といいました。私達は常に今を生きているか問われています。

 またある日、寺にめったに来たことのない人がやってきて「ご坊さん、お経をあげていただけませんか」というので、どうかしたのかと尋ねると、「実は娘が癌になって困っている。子どもはまだ小さいし、なんとか治ってほしいと思い、易(えき)でみてもらったところ、あんたの先祖が迷っている。それが原因かもしれないから寺で追善供養をしてもらいなさい」と言われて来たとのことでした。

 この種の読経依頼は枚挙(まいきょ)にいとまがない。全て先祖が関与しているから不思議である。いろんな悩みごとのなかに、子どもの夜尿症を治してとか、挙げ句のはてには全て順調にいっているから恐い、というのまで実にさまざまである。結果が思うようにいかないと、神も仏もないという。もともと自分の都合よく働いてくれる神や仏などあるはずないのに。仏教は思いのままにならぬのが「娑婆(しゃば)(堪忍土(かんにんど))」と教えています。

「おもい」

あーあ
思いどおりにならなくて
ほんとうに よかった
こんな汚ない根性で
思いどおりになっていたら
何人 人を殺したやら…
何人 敵をつくったやら…
今 太陽の下で
おしゃべりに夢中になれるのも
思いどおりにならなかったおかげ…
あーあ
おもいどおりにならなくて
本当に
よかったなあ…
癌だって
おもいどおりにならない人生だもの
あたりまえ…
おもいどおりにならぬ恩恵
良かったなあ…

鈴木章子
『癌告知のあとで』
(山梨県縁瑞寺住職)

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