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3分間法話
  親と子は同時に誕生共に親となり子となる道

湯浅成幸
第33回 <1998年5月>
 

人間が人間を変革すると
どこにも人間が居なくなる
[和田稠]


 現代は、生から死に至るまで、すべて人間の知識や計算によって人間が変革されていく情況が色濃くなっています。
 「人工授精」「臓器移植」「クローン人間」など、次々とコンピューター操作等による変革、これで果たして人のいのちの喜びがひらかれるのか疑念が深まります。そして、いのちが商品化され物品扱いとなり、生の意味が喪失していきます。

 ある小学校三年生のK君は、友人の事故死にショックを受け、母親に「人間みんな死んでゆくんだね。どうせ死ぬなら早く死んだ方がいいんじゃない、いろいろ悩まなくてすむから。お母さんは一体何のため生きているの」と聞きました。子どもの問いに母親は何も言えず絶句したと申します。この少年の問いは、決して少年のみの問題ではなく、人として生きる存在そのものへの問いでありましょう。

 結婚式の披露宴で、よく司会者が新郎・新婦に「あなたは何人子どもをつ・く・り・ま・す・か・」と問い、「私は、男と女二人はつ・く・り・た・い・です」などという問答を見聞きしますが、「子どもをつ・く・る・」という感覚に馴(な)らされて、いのちが物品化されていることに気づかないでいたことを思い知らされます。子どもは親の造作物ではないのです。

 和田稠(わだしげし)さんの「変革」という提言は、そのような人間の闇を問うています。

「政治改革・経済改革・教育改革、そのための意識改革。そしてついに人間改革に行き着く。人間が人間を変革すると、どこにも人間が居(い)なくなる」

 変革しようとする人間自身が闇である限り、変革されたものもまた、闇に葬(ほうむ)られていきます。人間は、自らのエゴで地・獄・を・つ・く・っ・て・い・る・ことに気づかないのです。子どもを親の私物のごとく思い込み、「私・の・子・ど・も・」とひとりじめして、親の手箱に閉じこめるとき、「俺は人間に生まれてこなければよかった」「早く死にたい」という少年たちの悲鳴が聞こえてきます。少年ばかりではありません。老いも若きも同じ情況下にあります。しかし、この少年たちの悲鳴は、実は本当の人間のいのちを生きたいという、いのちそのものの叫びでもあります。

 中国の善導大師(ぜんどうだいし)は、仏の教えにもとづいて、「出生(しゅっしょう)の因縁(いんねん)」ということを明らかにされています。「この私が人としてこの身を受けたということは、自ら生きようとする意欲を内(うち)なる要因とし、父母の精なる血潮(ちしお)を外(そと)なる縁(条件)として、この身が誕生したのである」と教えられています。

 つまり、親と子は同時に誕生する相依関係であります。いかなるものも侵(おか)すことのできないい・の・ち・の独自性と、子の悲しみは親の悲しみ・親の喜びは子の喜びというい・の・ち・の相互性を教え、共に親となり子となる道こそ仏の教えであることを明らかにされています。

「私は私に生まれてよかった」という真のいのちへのめざめを促してやまない仏の願いが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」というみ名によって、今私たちに呼びかけられているのであります。

(熊本県・山田寺住職)


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