いよいよ蓮如上人(れんにょしょうにん)五百回御遠忌(ごえんき)を来月にお迎えすることになりました(1998年)。
今から五十年前、戦後の混乱もまだおさまらない昭和二十四年、蓮如上人四百五十回御遠忌がつとめられました。下記のご和讃(わさん)は、このとき暁烏敏(あけがらすはや)師によって奉讃(ほうさん)四十八首(しゅ)があらわされ、本山(ほんざん)(京都・東本願寺)より全寺院に広く配布されたもののうち、四十六首目にあります。このたび具足舎(ぐそくしゃ)の林暁宇(はやしぎょうう)師のお力により復刻再刊(具足舎刊)されました。暁烏敏師は清沢満之(きよざわまんし)師のご縁により、念仏の法を時代社会の中で苦悩する多くの人々に明快に鋭く語りかけられた先師であります。戦後の混乱と疲弊(ひへい)した時代にあって、真宗大谷派の宗務総長に推され、「盲目の念仏総長」といわれ、苦難の宗門の再建に奪闘(ふんとう)せられました。
蓮如上人居(い)マサズハという暁烏師の感慨(かんがい)は、今の私の胸にも深く刻まれています。
蓮如上人居マサズハ、現代に生きる『歎異抄(たんにしょう)』も歴史の闇に消えて、私たちの目にふれることがなかったのではないでしょうか。
蓮如上人居マサズハ、念仏申(もう)す・お勤(つと)めする・物忌(ものい)みせずという真宗門徒の生活信条も相続されることはなかったでしょう。
蓮如上人居マサズハ、中世以来、日本人の心も、広く深く、柔軟に耕されることはなかったでしょう。
蓮如上人居マサズハ、この世の現実と真向かいに目をそらさず、真実に生きる浄土の教えも私たちの心をとらえることはなかったでしょう。
蓮如上人居マサズハ、この関東で、親鸞聖人のご縁厚しといえども、消えかかった法の灯(ともしび)は再興されることはなかったでしょう。
蓮如上人居マサズハ、もしかしてこの私は、世法・仁義・世間通途(つうず)の義を足げにして、己(おのれ)は仏法者なりとうそぶいていたかもしれません。
そしてなにより、蓮如上人居マサズハ、親鸞聖人の教えにふれることもなく、釈尊のことばにも心よせることもなく、私は今の時代の白い闇の中を、ただもがきつづけていたのではないかと思えてならないのです。
今、私は、蓮如上人のご勧化(かんけ)により、無数の念仏者を生みだした壮大な歴史の重さを実感させられています。
暁烏師は、このご和讃によって「蓮如上人のご勧化が、一人にても広く伝われかしと念願いたします」と結ばれています。
(茨城県・浄善寺住職)
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暁烏敏(あけがらすはや)(1877〜1954)
明治の仏教者・清沢満之(きよざわまんし)に師事し、師の没後は、雑誌「精神界(せいしんかい)」を主宰(しゅさい)し、「歎異抄(たんにしょう)」の紹介に尽力する。晩年、全く目が見えなくなったが、真宗大谷派(東本願寺)の宗務総長をつとめた。「暁烏敏全集」(全二十七巻)がある。
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『蓮如上人奉讃四十八首』
(具足舎刊・250円)
申込先
〒004-0061
札幌市厚別区厚別西1-3-1-20
011-891-7460
