戦後五十年を前にして、やっと韓国の「従軍慰安婦」とされた人たちが名のりをあげられました。当時の公娼という日本国内の声に怒り、真の謝罪と個人への補償を求めて来日されたのは、今から三年前でした。
来日された時には泊まるところがなく、私のお寺にも二人のおばあさんに泊まっていただき、五十年前の屈辱、忘れようとしても忘れられない証言をしていただきました。李容洙(イ・ヨンス)さん
女学校で日本の歌を歌わず、警察に大連(だいれん)に送られ、大連から海路上海(しゃんはい)を経て台湾の慰安所へ。航行中ひどい船酔いに苦しみ、便所へ吐きに行ったら日本兵に犯された。友だちも同じようにして犯された。船中で何度も同じ目にあった。一六歳からの三年間、敗戦の日まで慰安所に監禁された。軍人を相手にすることを拒んで電気拷問を受け、今も両手に後遺症が残る。
尹今禮(ユン・グムレ)さん
警察官と軍人によって連行された。夫は一ヵ月前に徴用。姑と幼い娘が残された。船で天津(てんしん)の慰安所に運ばれる。当時一八歳。日本刀で切りつけられた傷跡が首にくっきりと残る。一年間監禁された時、部隊に物資を運んでくる朝鮮人軍属に事情を打ち明け、荷物に紛れて脱出。
その貴重な証言により戦後生まれの私たちも、戦争の狂気さや非人道的な行為を教えられました。
また、最近では教科書にも載り、戦争を知らない世代がそのことを学ぶことができるようになりつつある中で、「従軍慰安婦」はなかったとする論調が、ある一部の人たちから言われるようになってきました。歴史の証人として、今やっと語り出した人の人間性を無視する行為に悲しみを感じます。おばあさんたちは今やっと語れるようになったのです。
三五年間、植民地支配を受けた韓国の人々の日本に対する「恨(ハン)」の思いの中においても、強制的に「従軍慰安婦」とされたおばあさんたちにとって、李王朝時代よりの儒教思想の中で、女性の貞操の問題として「三従之道(さんじゅうのみち)」という教えが重くのしかかっていました。親に従い、夫に従い、老いては子に従うという女性の「性」に対しての貞操意識でした。このことにより「慰安婦」とされた女性たちが故郷にも帰れず、韓国内でひっそりと静かに暮らしていたのです。そのような韓国の国内事情もあり、日本では、「慰安所」のことは長い間問題になってきませんでした。
戦争という凶器によって引き起こされた五十年前の屈辱を、五十年間、それぞれの胸にしまいこんだおばあさんたちは、忘れようとしても忘れられない、いやがおうにも蘇(よみがえ)ってしまう記憶に心やすまる日はなかったはずです。
身も心もズタズタにされたおばあさんたちは、人間としての尊厳をかけて、最後の闘(たたか)いをしているのです。私たちはおばあさんと同じ時を生きているのです。ですから、「あれは戦争だったから」とか、「戦後生まれの私たちには関係ないこと」と、見て見ぬふりをしていくことはできません。歴史の事実を学び、溝ができてしまった歴史観を修復し、同じ「時」と「いのち」を共有していきたいと思います。
(千葉県・浄真寺住職)
