EQという言葉を目にすることが多くなりました。悪名高い偏差値教育の背後にIQ(知能指数)信仰が根を下ろしている。その知育偏重を批判して「人間は頭でなく心である」と主張する立場から、〈心の知能指数〉=EQが提唱されているようです。
人生が思いどおりにならない時、失敗や挫折のただなかに立たされた時、私たちは無意識に、原因を外に見つけようとします。「相手が悪い」「社会が問題だ」「運が悪かった」などの理由づけ(合理化)をしている自分に気づきます。しかし心のどこかが落ちつかず、コンプレックス(劣等感)は解消できません。その時に聞こえるささやきが「成功した人間は、うまく立ち回った奴だ」「人間は頭脳や学歴でなく、心なんだ」という言葉なのですね。知識や学力も大切ですが、それ以上に心が豊かで優しいという指標が、人間に大切なことは当然のことです。けれども「人間はこころだ」と言ったとき、その言葉の裏側に「嫉妬(しっと)」や「憎悪(ぞうお)」の心が渦巻いていないでしょうか。成功した者を羨(うらや)む「引かれ者の小唄」的な心情が流れていないでしょうか。
一月二十六日に多くのファンに惜しまれて世を去った、時代小説作家・藤沢周平さんのこの言葉は、敗北した者の背後にひそむ暗い心情とは、全く次元を異にしているように感じます。藤沢さんは時代小説をとおして信長や秀吉のようなヒーロー(成功者)でなく、市井(しせい)の庶民の哀感を描いたと言われます。下級武士や民衆の生活の中に、キラリと光る人間の真実を発見して、それを題材に数多くの物語を生み出した作家でした。その創作の原点がこの言葉だったのかもしれません。
日本人は明治近代以降、故郷に錦をかざるべく「立身出世」の言葉のとおり、一生懸命に成功をめざして努力してきました。そのエネルギーが戦後の高度経済成長を生み出したことは、周知の事実です。成功を目標とすることは当然、上昇志向によりピラミッドの頂点をきわめることにつながります。勝者をめざして段階を登りつめていく。その人の視線は「上と下」にしか移動しません。「成功か失敗か」の尺度だけで人生を眺める眼差(まなざ)しと言い換えてもよいのでしょう。
いっぽう「成功しない人間」には二通りのタイプが考えられます。一つは「成功を羨む人」。もう一つは「成功か失敗か」の尺度を離れて、まったく異なる視線を発見した人です。「上下の物差しを手放した人」と言ってよいのかもしれません。ピラミッドの底から上を見れば最低辺の位置になります。しかし視線を横に移せば、そこには豊饒(ほうじょう)な、心が通い合う人々の世界が広がっている。横の視点に人間の真実を発見した藤沢さんは、その世界に分け入って物語を紡(つむ)ぎだしたに違いありません。大勢の愛読者を獲得した藤沢さんの秘密が、この言葉に隠されているように感じます。
(長野県・萬福寺住職)
