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3分間法話
  迷惑ばかりの人生に安んじていける道を開く

草間法照
第23回 <1996年9月>
 

いのち、娑婆(しゃば)にあらんかぎりは、
つみはつくるなり。
[蓮如上人(れんにょしょうにん)
     『御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』]


 長く病床にある人は、こんなに迷惑をかけて申し訳ないという思いをいだき、それ故に肩身の狭い思いにとらわれて悩みがちだと聞きます。中には、その負い目の余り、自ら命を断つ人もおるようです。

 私はこれは、私たち日本人が他人に迷惑をかけない人間を立派だと考え、そのような人間になることを教えられてきたプレッシャーによるのだろうと思います。しかし、他人の迷惑にならない人間になるなどというのは、所詮は見果てぬ夢ではないでしょうか。つまりは、人間というものは生きてそこに在るだけで罪を作り、他人の迷惑にならずにはおれない存在だということですが、このことは、例えば、人間は食べなければ死ぬという一点に立てばうなずけましょう。生きるということは、まずもって他の命を殺すということに他なりません。

 近年とみに脚光を浴びてきた人に、金子みすゞという人がおります。見えない世界、心の世界を大切にした大正時代の童謡詩人で、将来を嘱望されつつも僅か二六歳で亡くなった人ですが、こんな詩を詠みました。

─朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮(おおばいわし) 大漁だ 浜は祭りのようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらいするだろう─

 ことほどさように人間は他の生き物にとっては迷惑な存在なのです。

 人間関係においても同じではないでしょうか。例えば、遊園地で子どもと遊んでいる人の幸せそうな姿が、子どもの授からない人に対して羨(うらや)ましさや淋しさ、あるいは時として嫉(ねた)みの心をいだかせるとすれば、その人は迷惑な存在でしょう。たくさんの大学を受けて片っ端から合格するような受験生は、成績の芳しくない受験生にとっては自分の合格率を下げる迷惑な存在に違いありません。

 もう10年以上も前になりますが、大物歌手のMは「普通のおばさんになりたい」という名台詞(せりふ)を残して引退しましたが、その引退の花道となったNHKの紅白歌合戦で司会をしていた某アナウンサーは、トリで登場した彼女を紹介する際に別の大物歌手の名前を口にしてしまい、それが原因でやがてNHKを去ることを余儀なくされ、その後の人生が大きく変わってしまったそうです。M歌手の存在はこのアナウンサーにとって大きな迷惑になってしまったと言えば言い過ぎでしょうか。

 真面目になればなるほど、人間は迷惑をかけずには生きていけないものであることが知らされます。ですから迷惑をかけない人間になるなどというのは、人間というものの身の程を忘れた思い上がりと言うべきではないでしょうか。

 迷惑をかけない人間になろうなどと考えるよりも、迷惑をかけていることを忘れない人間、迷惑をかけずには生きられないことを懺悔(さんげ)する人間になることの方が尊いのです。懺悔は信心と重なるものですが、この信心が私たちをして迷惑をかけずには生きていけない、のっぴきならないこの娑婆に真実安んじて処していける道を開くのです。

(新潟県・勝覚寺住職)


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