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3分間法話
 

第18回 <1995年11月>
 

まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。
『歎異抄』


 今から26年前の1969年7月21日、人類が初めて月面に着陸したとき、テレビの映像を見た人は多いでしょう。その中で、二人の飛行士が大きな生命維持装置をせおっていたことを思いだしてみてください。月面は真空で、呼吸するために人工的に空気を作らねばならなかったからです。

 私たちは毎日、自然に息をして、それをごく当然のこととしています。しかし、もし何らかの理由で空気がなくなったら、私たちはすぐに死んでしまうはずです。だが、そのことを忘れず、空気の恵みを感謝しながら毎日生きている人は、おそらくたくさんはいないのではないでしょうか。

 これはひとつのたとえです。恵みを受けていても、それがあまりにも大きいとかえって恵みを感じない。そんな日常生活のなかで、私たちには東洋人独特の「恩」という教えが受けつぎ伝えられています。

 ほおっておけば死んでしまう赤ん坊を、ゆっくり寝ないでそだててくださった親。その大きな恵みを受けないで成長したものは誰もいません。しかし子は、その事実を忘れてしまっています。

 仏教では、親の恩とは恵みの質の違った、人間のすえとおったよりどころを教え示された大きな恩、つまり仏の教えの恵みによらねば目覚めた人間生活ができないことが強く説かれています。

 恩しらずの生活は、どこまでいっても「欲求不満」です。なにが足らないのかと考えてみても、ちょっと思い当たらないような結構な生活でも、やはり不満なのはどういうわけでしょうか。

 科学技術が進歩し、すべて便利なものが自動車からティッシュまで、よりどりみどりのありさまで市場にでまわっています。私たちのむさぼりの心がそれに刺激されっぱなしです。「金さえあれば」という思いに迷い込み、出口がわからなくなって、ほんとうに「ありがとう」といえない人間に退化しつつあるのです。教えを聞かないと、「欲求不満」がいよいよ加速していきます。

 また、資本主義経済のしくみの中で、人間関係が売り手と買い手の関係になってしまって、「ありがとうございます」という尊い言葉が、商売用語かそれに似たごく軽い挨拶言葉になってしまいました。たとえば、電車で「毎度ご利用ありがとうございます」とむなしく繰り返しているようなもので、「あること難(かた)い」という本来の深い意味がなくなってしまいました。

 技術の進歩や経済の発展に逆比例して、精神の内面が急速に退化した我が身の日常をよくよく考えてみたら、知らず知らずに物質化してゆく時代の変化はおそろしいことです。このままでゆけば人間社会の未来はどうなるでしょうか。

 金で買えない内面的豊かさは、教えの恩を我が身一人のためと受けとめることから始まるのではないでしょうか。

(首都圏教化教導)


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